真玉泥中異(しんぎょくでいちゅうにいなり)

美しく生きる

あなたは今、どんなところにいますか。にぎやかな場所、華やかな場所。それとも、いやいや通う学校、パッとしない会社。暗い家・・・・・・・。
あなたが本物の宝石なら、泥の中にいたってその輝きは失われません、という禅語です。
今いる場所があなたの居場所。周りなんか気にせず自分は自分で勝手に輝いていればいいのです。いつかそんなあなたを誰かが見つける。そんなあなたに誰かが気付く。
あなたの輝きもその才能も、本物なら泥にまみれたって曇らないから、染まることなど心配しないでいってらっしゃい。
 

感謝です。

何はともあれ、一日を何事も無く無事に過ごせることは素晴らしい事です。常に感謝の気持ちを持って他の人が喜んでくれるような心で過ごすことが大事です。私は常日頃、無事に一日を過ごせたことに感謝の心でいます。無事に一日を過ごす事が出来ない場合は、自分の心に何かあるのです。(>_<)心や気持ちは常に前を向き生きる事ですネ。

2023-03-08

禅の人生観

丹精していくことによって完成していく。そういうのが禅の人生観、世界観なのです。
全てを進行形で見ていくのが禅の世界です。この移り変わって行く事を仏教語では「無常」と言います。
全てを動いているままに、と言う事は、生きた状態で受け取っていく。この禅の人生観、世界観を、「現在進行形人生観」と呼んでいるのです。全てのものが移り変わっていく、だからそれを1面から言えば、止まる所が無いんですね。止まらずにどんどん移っていく。もし止まるのを厭(いと)うなら、それは「執着」です。何かの虜になってしまうのです。禅では、そのような動きが取れないような考え方を嫌うのですね。どんないい事でも、それに執着したら悪になるという見方が禅にはあります。だから、すべてをingの進行形で処していく。そこに進化というものがあるわけです。

2023-02-27

自分の中にある存在の源を自覚する。

令和5年2月27日 月曜日 暖かな春日和。

うまれながらに眼は横に、鼻は縦についていると言う事だけではなく、人間を人間たらしめる仏性が生まれながらに具わっている事実を、道元は見やすい例で言っておるのです。
大きな権威や真理を自分の外に置かずに、自分の中に置くので、これを仏教語で「内道」といい、権威や真理を外に求めるのを「外道」と言って区別します。そして自分の内面の権威に気付く事を「自覚」と言います。
人が振り向きもしない、当然・平凡な事実に私たちは深く謙虚に対応していきたい。そこに生き甲斐も感じられてくるのです。雑草が一生懸命に生きている。「ああ、そこに自分の生き方がある」と森羅万象が私たち一人一人に生き方を教えてくれるのです。「覚」とは、この心の奥に深くうなずくものであって、それが人生を豊かなものにしてくれます。ゆえに平凡な事実でも角度を変えて深く見つめることが大事です。

2023-02-23

「工夫創造」心の中にある受信装置

科学でも芸術でも、深く見つめる、”凝視”によって生まれる。と書いてあります。29歳で亡くなった詩人の八木重吉は、花を見て、「花はなぜ美しいか。一筋の気持ちで咲いているからだ」と詩んでいます。人が見ておろうが、そんなことは関係なく、咲いていると。逆風の時ほど、誰も自分の悲しい気持ちは分かってくれない。誰もわかってくれない場合、自然をじっと見つめていると、無心の自然現象が希望を呼び起こしてくれます。誰が見ていなくても一生懸命に咲いている花が、呼びかけてくれるのです。そして、どうしたら希望を持って生きられるだろうか?それをよく考えるのが「工夫創造」という心のはたらきです。
「感謝(感動)・希望・工夫」を私は「プラスの3K]と呼んでいるのです。物を見る時には、この「プラス3k
」の”杖のことば”が大事だということですね。   この言葉で何となく元気が出ました。

 

ホッとしました。

令和5年2月18日(土)仏滅 八白土星中宮日

今夜一杯飲んでいると電話です。神奈川県からです、何度も電話相談を受けている方でした。声を聴くとあまり元気が無いようです。話を聞くと私の元気を貰いたいとの事でした。私は元気です。いろいろお話して結構長電話でしたが、元気を取り戻したようです。何時も赤荻さんに元気を頂いて感謝ですと言って切れました。

2023-02-17

生きがいを見つける

令和5年2月17日(金)先負 晴れ ひのえうま 七赤金星中宮日

「当然の事柄に感動するところに希望が生まれる」
「何でもない当然の事柄だ」と、「フーン」と鼻の先で片付けてしまうのか。それとも何でもない事に熱意を重ねていくのか。対応の仕方ではその人の人生が豊かにもなり、貧しくもなると思うのです。
よく「生きがいがない、生きがいがない」と悩まれる方がおられます。「生きがいは何処にあるのでしょうか?」目の前の淡々とした当たり前のことを良く見つめる。その見つめ方により生きがいが見つかると思うのです。では、どうやって見ればいいのか。
その見方の第一番目は、何でもない事柄から感銘を受ける事です。感動と言っても良いのですが、当たり前であると言って見逃してしまう前に、それをもう一度じっと見つめてみる事です。 と書いています。

2023-02-14

思考の原点になる読書

令和5年2月14日(赤口)晴れ みずのと う 四緑木星中宮日

朝から北風が吹き寒い一日でした。晴天です。啼く猫を叱りながらの一日でした。今度夜中に啼いたら里親へ出そうと思っています。その旨愛猫には話しています。どうなりことやら?
本題に入ります。思考の原点になる読書とあります。考えることが出来ないのは読書しないから考えるテーマが浮かばないのです。だから一日に一ページ読書をするようにお勧めしているのです。チョットでもいいから本を読んでいただきたい。と記しています。

 

2023-02-11

仏性

令和5年2月11日(土)建国記念日 先負 一白水星中宮日 かのえね

今日は土曜日、建国記念日です。日本国が初めて国として名乗りを上げた日です。
道元は「眼耳鼻直なる事を認得して、空手にして郷に還る」と言ったのです。当たり前の事が当たり前として分かってくると言う事が大変であって、それは本当に易しい事ではないと言う事なのですね。生まれながらに具わいるのは目鼻耳口だけではない。仏教思想では仏性(人を人で表しめる根源的な命・心)が具わっていると言います。仏性は本具。人間は生まれながら皆仏性になる可能性を持っているーーーーこれが仏性と言う事なんですね。「仏に成る」と言う事は「死ぬ」ことではなく「人間性を完成する」ことです。この仏になる可能性をみんな生まれながらに持っているというのが仏教の人間観であり、人生観で。これは人間に限りません。すべての生物は皆、平等に仏になる可能性を生まれながらに具えている。
それぞれ生まれながらに備わっている、その機能を完成することが「成仏」ということなのです。成仏とは死んで仏になるのではなく、そのものが持っている機能を完成することです。

2023-02-06

「妻になお二指あり 今日も洗濯してくれる南無阿弥陀仏」

ハンセン病患者の静養所の話です。ハンセン病はほぼ絶滅したのですが、過去においてその病気の為に皆さん、とても辛い思いをして生きて来られたようです。その静養所の中に指が1本もない患者さんが居たようです。うっかりその方に「不自由だね」と声をかけてしまったと言います。するとその患者さんは、寮に還ると同じ病気の女房には指が2本残っているんです。だから動作は遅いけれども、掃除機も洗濯機も扱えるんです。と言い、上記の句を読んだそうです。この句を詠んで私も感動しました。自分に指が10本あると言う事に、何だか身が引き締まるような感じが致します。

2023-02-01

平凡なことの中に真理が隠れている

令和5年2月1日(水)晴れ 大安 九紫火星中宮日

先日、平凡な中に真理が隠れている。と書きましたが、この当たり前の事実を見つめた例に、北原白秋は、「バラの木二 バラノ花サク ナ二ゴトノ不思議ナケレド」と詩に読んだそうです。又、当たり前のことを取り上げて、それを凝視したのが白秋の弟子の岡本かの子です。「梅の木に梅の花咲く理をまことに知るはたやすからず」と読み、当たり前の道理だと知る事は容易なことではない、と岡本かの子は歎【たん】じるのです。

道元(曹洞宗)の開祖

2023年1月31日(火)晴れ

道元は、24歳で宋に渡り4年後の28歳で日本に帰って来ました。たった4年で日本に帰り曹洞宗を開祖したのです。宋での修行中はなかなか良い師匠に恵まれづ、帰国直前に天童山と言うところで如淨という僧に出会い禅の修行をしたのです。道元は何を得たかというと「眼横鼻直」(げんのうびちょく)を認得し、空手にして卿に還る。と言っています。宋に渡って当たり前の事を確認してきたのです。と言ったそうです。
平凡な事の中に真理が隠れている。と言う事です。続く

まともな人ほど一人ボッチ

まともな人生を送っている人・「己の人生の目的に向かっている人」ほど一人ボッチになると言います。
釈迦も独りぼっちだったと言います「無師独悟」(師の教えにたよらず、自分の力でさとる事)
自分の目的に向かって自分の意思で向かっている人ほどボッチになると言う。自分が一人ボッチと思われる方は考えてみてください。私もそんな時期がありました。

2023-01-13

「柳緑花紅」より

何事も無いものの中から真理を汲みとる

禅語と言うものは、言句(文字と言葉)だけではなくして、自然のたたずまいの中から禅の意思を汲み取ると言う事があるのです。これも禅語で「無常説法」と言っています。無常は、情けないと言う字を書きますが、そんな意味ではなく、人間のように感情とか意識を持っていない山水や樹木を言います。その感情を持っていない山や川もみな、それが真理を説いている。そういう受け止め方が禅の世界から出てくるのです。
「柳緑花紅」柳は青々として花は紅くなっていくーーーーそういう何事も不思議のないあたりまえの中から
「真・善・美」と言った真理を汲みとって見ていくことが出来るのです。

2023-01-11

武者小路実篤氏の言葉。

苔むした石に記されていたのは「あれを見よ 深山の桜咲きにけり 真心つくせ人知らずとも」
武者小路実篤の書いた禅語、「人知るもよし 人知らざるもよし 我は咲くなり」。誰が見てくれようと見てくれなかろうと真っ当な生き方をして行こう。という事ですね。

「露堂々」「明歴々」

「ろどうどう」「めいれきれき」と読みます。
「露堂々」とは、隠すところなく真理が惜しげもなく現れていると言う事です。「明歴々」。歴々とは、「ありがとう」と言う意味です。
宗教的な受け止め方をして、人生論として考えてみますと、無常から生きている命の尊さが分かってくる。そして、無我、お陰様から感謝が現れてくる。そこから「少しでも人の為にしていこう、何でもいいから人の為にしていこう」という気持ち、生きがいが生まれてくるわけです。
花は人が見ていても見ていなくても咲いている。そんな仏教思想を学ぶだけではなくて、それを人生論として受け止めていくときには、自分だけでなく人様、他人の幸せを願っていかなければいけないということなんですね。!(^^)!

今日も相談電話がありました。隣りの県からです。お話を聞いてみると、いろいろ現在の悩みをお話してくれました。先日も同じ県の方から電話相談がありました。自分の悩みや気持ちを打ち明けられないで困っている方が多いようです。どちらの方も私にしてみれば、そんなに悩むような事ではないと思うのですが、本人にしてみれば悩みになるのでしょうね。適切かどうかは分かりませんがアドバイスをさせて頂きました。自分の気持ちを分かってくれて有難う御座いますの返事が返ってきました。

どうぞ、どんな悩みでもご相談ください。私の出来るだけのアドバイスをさせて頂きます。

見出マミーを亡くしました。

10月に最愛の家内(マミー)を亡くしました。残念です。私の人生の中で、どれ程尽くして又励ましたくれたのか分かりません。四十九日も終わり建墓を依頼しました。お寺さんにお骨を預かって頂く予定でしたが、寂しいだろうと思って自宅に持って帰りました。毎日、お茶を・線香をたむけて朝の挨拶をしています。夜は休む前に、「おやすみ」と声をかけています。愛猫のクロとミッキーが日に何度もマミーのお骨を安置している部屋に連れて行きます。クロもミッキーもマミーが居ないのを分かっているようです。可愛いものですね。鳴きながらマミーの部屋へ誘導します。その度に線香を手向けています。成仏して極楽浄土へ行ってくれる様に祈っています。

 

 

先輩の知人が亡くなりました。

9月11日(日) 大安  3つほど先輩が亡くなりました。

車の修理工場を経営していた先輩が亡くなりました。急な逝去だったので

信じられないです。ご冥福を祈り近く仏壇にお線香を手向けに行こうと決

めています。残念です。

経過報告がありました。

9月7日(水) 先勝   相談者からの経過報告がありました。

相談者ですが、今までも何度か経過報告を戴きました。(^^)/

今日も連絡を頂きました。新しい職場で頑張っているようです。上手くゆく

様に励まし近い内に来られるように話しました。アドバイスをさせて頂こう

と思っています。仕事は心構えが大切ですからネ。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

人は誰も幸せになるために生まれてきたのです。
自分や家族のいろいろなお悩みの相談を受けています。
汝、悩むことなかれ。どんな人でも悩みの無い人は居ません。
早く心と気持ちを軽くして、前を向いて生きて行きましょう。
多くの方が心と気持ちを軽くして幸せになっています。
どんなことでもご一報ください、無料で相談させて頂いています。