8月16日(月) 元裏千家家元 千 玄室の言葉より
今日新聞の切り抜きを見て千 玄室の言葉を読みました。
その中の一節を記します。
笑顔で接する「和顔施」より
とかく人間は自分本位で事を判じ、我だけは守られているという
増上慢になる。
釈尊の教えには、基本をなす3つの「布施」がある。
1には「無為施」。これは人から不安や恐怖を除き、無事平穏に過
ごせるようにすることである。この無為施はあまり世に知られていな
い。
2の「法施」は主に僧侶に対してで、大切な法を説くには広い心で良心の在り方を知らねばならないのだが、中々に難しく理解しがたい。
3つ目の「財施」。これは当然金品による布施の事であるが、施しを
するとともに謙虚であり自粛する心を持たねばならぬ。奉仕、すな
わち他の人の為に自分が何をもって手助けをすることが出来るか
を考え、実行する施である。いずれにしろ、自分が生存するという意
義の大切さ、自分より他の人の為になすことができる人生の尊さを
教えたものである。
これとは別に、釈尊は「無財の七施」というものを示されている。
①優しいまなざしで人と接する「眼施」
②優しい笑顔で人と接する「和顔施」
③思いやりの有る優しい言葉をかける「言辞施」
④自分の身体を使って奉仕する「身施」
⑤他人の思いやり気を配る「心施」
⑥席や場所を譲る「床座施」
⑦雨風をしのぐ場所を与える「房舎施」
釈尊の教えだから宗教の教えだからと難しく考えず、構えずに身近
にできる事ばかりではないだろうか。
私は特に「和顔施」が好きである。笑顔を向けられて、嫌がる人は
いないのではなかろうか。(せん げんしつ)
この世に於いて、たった一度のめぐり逢いだという深い受け取り方
が必要だと思うのです。
と書かれていました。確かにそうですね。