現代でも「人情」は捨てたものじゃない。

家内の退院後、知人の奥様が「肉じゃが」を作って届けてくださいました。

嬉しいですね。また、友人が私の好きなポンパドールのフランスパンを

2回にわたり届けに来てくれました。また、数日にわたり家内の状況を見

に来ていただいたりと「人情」古い言葉に聞こえますが未だに生きていま

す。嬉しい限り感謝感謝です。

世の中捨てたもんじゃないですね。

これからも人のお役に立てるよう精進します。

五月病?

五月に入り連休明けに多く発生すると言われる5月病。

新入社員に多いようですね。

早くも1件ありました。職場での人間関係で先輩社員の言葉の問題でし

た。

まだ就業したばかりの何も知らない若者に対する言葉遣いには、先輩社

員諸氏は注意しなければなりません。ちょっとした事にも戸惑う新入社員

です。

相談者は、何とか納得?我慢して就業していてホットしています。

最後の拝顔。

16日に亡くなった知人のお宅へ伺って拝顔し線香を手向けてきました。

穏やかな顔で眠っていました。人は生前に善行をしていると、亡くなった

時に穏やかないい顔をして居ります。悪行をしていると、それなりの顔に

なります。人は生前でも死後でもその人の心持が顔に表れています。

私は、顔を見るとほゞその人の心持が分かるようになりました。人間は善

行をしてポジテブに生きようではありませんか。明るく生きることが幸せに

つながります。

[ 性善説」

「性善説」と言う言葉がありました。

人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、悪の行為はそ

の本性を汚損・隠蔽することから起こるとっする説。正統的儒学者の人間

観。だそうです。孟子の首唱。

人は誰でも仏性を持っている。と同じような言葉ですね。

禅の心・「平常心是道」

禅の言葉に「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」と言う言葉がありま

す。

「当たり前のこと」をやればいい。飾らない自分を見つけることが「悟り」

{悟り」と聞けば、長きにわたる修行の末にようやく到達できる。特別な境

地だと思っている人が多いのではないでしょうか。しかし禅語は「平常心

是道」と教えています。日々、当たり前のことを当たり前にやっている心こ

そ道であり、悟りもそこにある。と言う意味です。

茶人の千利休も、茶の湯について「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を立

てて飲むばかりなるものとこそ知れ」と言う言葉を残しています。なにも道

を究めようなどと、力むことはないのです。ただ、今やるべきことを自分の

命を込めて当たり前にやればいい。命を込めるとは、ひたすら取り組むこ

と、と言ってもよいでしょう。

誰にでもその瞬間、瞬間になすべきことがあります。それは仕事か勉強か

もしれません。しかし、いずれにせよ、「何かの為にする」「これをすれば何

かが得られる」などと、捉われることなく、目の前のことに集中して自分を

投げ込む。そこに飾らない自分の姿があり、その心こそが「悟り」でもある

のです。と教えています。

禅の教え。「不生不死」

もっと肩の力を抜くには          
「生まれて、死ぬ」・・・・・ただそれだけ
生まれて、死ぬ。どんな人でもこの摂理から逃れることは出来ません。

だからこそ、少しでも長く生きることを願い、死ぬことに対して不安や恐

れを抱くことになるのでしょう。

禅語に「不生不死」と言う言葉があります。生死は変えようのない絶対

的なものだ、と言う意味です。

生も死も、私たちの手の及ばない絶対的なものなら、それについて思い

悩んだりしたって仕方ないのではないでしょうか。摂理に任せるほかあり

ません。任せきってしまえば、こだわる必要もなくなります。

「こんなふうに生きなくちゃ」とか「死ぬまでにこれだけはしておかないと」

といった縛りが心から消え去っていくのです。今この瞬間、自分が生きて

いる。「それだけですごいじゃないか!」と思える。その‘すごい自分,を真

剣に、そして、淡々と生きたらいい。

禅の心に沿った肩の力が抜けて生き方とは、きっとそんなものだと思うの

です。 

と書いてあります。なかなか難しいことですがそんな心境に慣れたらいい

ですね。

秋の彼岸入りです。

彼岸は日本独自の風習だそうです。彼岸にはご先祖様に感謝しながら

墓参りをしましょう。

彼岸の意味について記しまうす。

彼岸とは、「彼の岸」すなわち「悟り、涅槃の境地」を意味し、その語源は、

サンスクリット語「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳語「到彼岸」からきて

ます。

煩悩と迷いの世界である「此岸」から悟りの世界「彼岸」へ到達するため

に、「六波羅蜜」の修行を行ないます。彼岸はその修行をするための期間

でもあります。

※六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧とい

  う六つの実践徳目。

六波羅蜜とは

布施波羅蜜:他人に対して広く施しをする実践。 (ふせはらみつ)

持戒波羅蜜:日常生活の諸規則を守る実践。   (じかいはらみつ)

忍辱波羅蜜:じっと我慢する実践。       (にんにくはらみつ)

精進波羅蜜:あらゆる努力を惜しまない実践。  (しょうじんはらみつ)

禅定波羅蜜:現在していることに心を集中させる実践。(ぜんじょうはらみ

つ)

般若波羅蜜:智慧を理解し実践し、上記五つの実践を支える。(はんにゃ

はらみつ)

彼岸こそ「菩提(ぼだい)」すなわち悟りに到達するための実践行をなす期

間として設定さ れた、仏教徒のための修業期間であったとされています。

彼岸の入り・彼岸の中日・彼岸明けということが言われていますが、もとも

とは、中日を はさんだ六日間の間に六波羅蜜多の一つを実践するすると

言うのが、彼岸の起源だったと 言われています。

お彼岸には、お墓参りをし、お花や線香を供え、真心の合掌を捧げる修行

が大切ですが、お参りは一度行ったら、後はほったらかしにするのではな

く、彼岸参りに限らず何度でも繰り返し行なうことが肝心なのです。

次兄の死。

病気療養中の次兄が7日に亡くなりました。眠ったままで苦しまずに亡く

なったそうです。通夜式告別式と所沢まで行ってきました。残念です。5人

兄弟のうち二人が亡くなり長兄と私と弟の3人になってしまいました。寂し

いですね。人間は生まれたからには死を迎えなければなりません。何人も

これを避けることは出来ません。仏教の言葉に「生老病死」とありますが、

正に人生は儚く短いものです。今を大切に一生懸命生きることにしたいと

思っています。

相手を思う。

人は、自我を捨て、相手を思い、感謝の気持ちを忘れない事が大切です。

自分が変われば相手も変わるものです。全て、自分に起こる問題は自分

に原因があると思ってください。相手や周りに問題があると思っているうち

は、まだまだです。心の持ち方次第で人生は開けるものです。

禅の教え。「卒哭」

「卒哭」 (そっこく)  生き方を変える。

自分が変わらなければ、前途は開けてこない。

過去を引きずって過去に執着すれば、今がなくなる。

未来はすぐに今になり、今は直ぐに過去になる。

過去にこだわると未来が見えない。

と、あります。何か自分に感ずる事はありませんか?

兄の見舞い。

兄が胃癌の手術をしたのですが術後の経過が思わしくなく、余命を宣告

されてしまいました。兄は81歳です。

今日、所沢まで見舞いに行ってきました。落ち込んでいたようですが、行

ってみるとやせ細ってはいましたが元気なので一安心しました。やっぱり

兄弟に会えるのを待っていたようで、かなり嬉しかったようでした。世話に

なった兄なので本当に心配です。又近いうちに会いに行こうと思っていま

す。兄弟の訪問は、本人にとってかなり嬉しく元気を取り戻すようです。

詩 「梅の実」

うめがとれた

きれいなみ まるいみ 

おおきいみ やせたみ

そばかすのみ

みんなちがうかお

にんげんみたいだな

もとをただせば みんなうめだ

釈迦の教え・「自業自得」

「自業自得」と言う言葉があります。あまり良い意味では使われていない

ようですが、良し悪し、どちらにも通じる言葉ではないでしょうか。

人間は、自分に起こる問題は全て自分に原因があり、自分で解決できな

い問題は起こらないと言います。

何か自分に問題が起こった場合は、冷静になってよく考えてみてください。

必ず自分に問題があったことに気付くはずです。もし自分で原因が分から

ず解決できない場合は、ご遠慮なくお問い合わせください。

禅の教え。「却下照顧」

「却下照顧」 (きゃっかしょうこ)と言う言葉があります。足元をきちんと見なさい。と言う意味だそうです。足下とは拠り所となる自

分の心と言ってもいいですが、心が整っていなければ、拠り所とはなりま

せん。心を整える…それはまさに足下にあります。脱いだ履物があちこち

脱ぎ散らかす、履物が乱れていても気にならないという事は、それだけ心

が整っていないからです。

忙しいとつい脱ぎっぱなしになりがちですが、「忙」とは「心を亡くす」という

事です。心ここにあらずで、心が整っていないことが、履物に表れてくるの

です。いつでも履物を揃え整えて、ふっとひと呼吸置くくらいの余裕を持っ

ていれば、それだけ心が整ってくるから不思議です。普段からの行為が大

切なのですね。

古代ヒンドゥー哲人の言葉。

古代ヒンドゥーの哲人の言葉に「意識」が変われば「態度」が変わる。

「態度」が変われば「行動」が変わる。「行動」が変われば「習慣」が変わ

る。「習慣」が変われば「人格」が変わる。「人格」が変われば「人生」が変

わる。「人生」が変われば「運命」が変わる。「顕在意識」と「潜在意識」を自

己の内面において変えることによって、人は大きな力を発揮することがで

きる。ベルグソンは言った“自分の未来は自分次第だ”…………

悩める現代人の参考にしては如何でしょうか。

禅の言葉 「お陰様で」

「ご恩」を感じながら暮らす。

「お陰様」の心で私たちは生かされている。

普段何気なく使っている言葉に、「おかげさま」があります。この「お陰様」

とは、陰に隠れて見えないご先祖様やご縁をいただいた方々のこと。

その存在があって今の自分がある、と言う感謝の思いが込めれれていま

す。食べ物にしても私たちは当たり前のように毎日いろんなものを口にし

ていますが、禅では、その陰には100人の方の見えない恩恵があると教

えています。

仕事だって、目には見えない大勢の人のご縁がつながっているからこそ、

自分がそれに携わることができ、生活を支えてくれている。お陰様によって

生かされている自分を、それぞれに感じることが大切です。

禅の言葉。毎日を「丁寧に生きる」

「不生不死」 (ふしょうふし)・・「生まれて、死ぬ」ただそれだけ    

もっと肩の力を抜く生まれて、死ぬ・・・・どんなひとも、この摂理から逃れ

ることは出来ません。だから、少しでも長く生きることを願い、また、死に

ことに対して不安や恐れを抱くことになるのでしょう。

「不生不死」と言う言葉は、生死は変えようのない絶対なものである。と言

う意味です。

生も死も、私たちには手の及ばない絶対なるものなら、それについて思い

悩んだりしても仕方ない、摂理に任せる他はない。という事になりません

か。要はこだわる必要もないことになります。

「こんなふうに生きなければ」とか「死ぬまでにこれだけはしておかなくて

は」とい言った「縛り」が、心から消え去ってゆくのです。今この瞬間、自分

が生きている。「それだけですごいことじゃないか!」と思える。その「凄い

自分」を真剣に、そして淡々と生きたらいい。禅の心に沿った肩の力が抜

けた生き方とは、きっとそんなものだと思うのです。…と書いてあります。

森羅万象、自分ではどうにもならない摂理、悩んでもどうにもなりません。

自然に任せてもっと肩の荷を下ろして生きようではありませんか。

毎日を「丁寧に生きる」禅の言葉。「挨拶」

「挨拶」が禅語だという事をご存知ですか。「挨拶」は「心と心で会話する」

ための言葉。

「挨}も「拶」も押し合うという意味です。元来、禅僧がお互いに押し問答し

て相手の悟り程度を知ることを「挨拶」と言ったそうです。もともとの挨拶は

相手に働きかけて、その心の状態を知ろうとするものだったのですが、こ

れは現在の挨拶にも共通していると言えるでしょう。

「おはようございます」と声をかけて、相手から返ってくる挨拶の調子で、何

となく相手の心の状態がわかる。また、相手にもこちらの心が伝わってい

きます。明るき元気な声であいさつを交わせば、心と心でいいエネルギー

が交換できます。そして、お互いに気持ちよく1日のスタートが切れるはず

です。何を言っているかわからないような挨拶はやめて、スッキリと1日を

過ごしましょう。

禅の言葉「心の荷物」をソットおろすコツ。

身の丈で生きる。「名利共休」 (みょうりともにきゅうす)

禅の言葉で「名利共休」と言う言葉があります。

名利は「名聞利養(みょうもんりよう)」の略だそうです。

全体では名声や利得に執着しない心を持つ、という意味です。名声や利

得を笠に傲慢にふるまったりするのは、まさに、その名声や利得に執着

ているから。そんな態度を続けても、一時は周囲に大勢の人が集まって

来るかもしれませんが、もし、名声や利得を失ったらどうでしょうか。おそら

く、クモの子を散らすように人々は離れていくはずです。

名声も利得もずっと持ち続けられるものではありません。何かあれば、い

とも簡単に消え去ってしまうのです。

そんなものに執着せず、日常の中で心の充足を見つけるようにすることが

大切です。

お年寄りに席を譲った自分をふっと好きになる、と言った簡単なことでいい

のです。むなしい名声や利得よりも、ずっと心を豊かにしてくれます。

と言っています。心が貧しいことは寂しいことですね。

お悩みの原因は「莫妄想」ではないですか?

「莫妄想」(まくもうそう) 自分で心配の迷路を作っている人へ   禅語。

わざわざ心配の種を探していることは、ありませんか?

過ぎたことを何時までもくよくよ考えて、ため息をついている人。これから

先のまだ見えぬことを思い悩んでいる人。その悩みは「妄想」の仕業で

す。現実の起きてもいないことをあれこれと頭の中で組み立てて、そのあ

りもしない事に自ら捕らわれてしまう。それが妄想の力、抵抗しないでいる

と、あっという間にあなたを蝕んでしまいます。

やる気もなくなり、ものごとを素直に捕えることも出来なくなってしまいま

す。

そんな自分に気づいた時は、「莫妄想!」と叫びましょう。妄想することな

かれ。悩んだ時は、あなたが育ててしまったその「妄想ストーリー」に気付

いてください。そして、無垢な気持ちで現実だけを見てみましょう。

頭の中に心配の迷路を作って、自分から迷い込むなんて、ナンセンス!   

という事だそうです。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

人は誰も幸せになるために生まれてきたのです。
自分や家族のいろいろなお悩みの相談を受けています。
汝、悩むことなかれ。どんな人でも悩みの無い人は居ません。
早く心と気持ちを軽くして、前を向いて生きて行きましょう。
多くの方が心と気持ちを軽くして幸せになっています。
どんなことでもご一報ください、無料で相談させて頂いています。