観音経の教えー3

*音波をキャッチする観音様

「一心称名」一心に声を立てて念ずることである。一心に念ずることにより観音様と一体に

れる。

一体になれるということは、無我になることである。他の事は何もない一切の計らいもなく、

だ頭の中は観音様だらけ、といった状態である。

「百千萬億」の庶民がもろもろの苦悩を受けた時、観音菩薩の名を一心に称えたら観音は

れを聞き分けて、皆のその苦しみから解放されるようにするからです。

「南無観世音菩薩」の南無とは「依るべきものに帰る」という意味です。

「観音開き」という言葉がありますが、戸が真ん中から両側に開く方式です。両方に開く

と、中は開けっぴろげとなりどこからでも自由に入れます。

仏像を祀る厨子のほとんどは観音開きです。観音様は、開放的な仏さまでであるからで

す。

*観音様の気配り

心を配ると書いて心配。普通、心配するというと、あれこれと気がかりになる。と言うが、

の意味は相手の身になって心を配るということです。

*即時即効の現世利益 

世の中には摩訶不思議なことがあるもので、存在していることだけは紛れもない事実で

これを学問や科学で立証できないからと言って、信じようとしない現代人にもう一歩踏

み込んで考えてもらいたいことは、一心になることに依って発散するエネルギーの力、精

神力を集中した時に起こる不思議な現象、これは今、科学の死角点にあります。

一念岩をも砕く、で、ひたすら一心になる熱意、それに伴う行動はいつの世においても岩

も砕くほどの力を持つ、ということではないでしょうか。

観音経の教え-2

*観音様と同居する。

多くの在家の人達は、自分の中の観音様に気付いていない。

なぜ気が付かないのか、とうと宇宙心理の存在を、自我というコ

ロモで七重八重に包み込み、全く見えなくしまっているからである。

その分厚い衣をかなぐり捨てて、宇宙と一体感に目覚めるために

宗教者は、宗教的修行をする。

では一般的な在家の人々が、どうやって心理に目覚めることができ

るかといえば、とにかく一生懸命生きることである。それぞれの人生

の道を極めたとき、悟りと似た人生の核を手に入れるのである。

つまり、自分に合った一番大切な一筋の道を行じて行く、この精神

を保持していくところに本来の命に目覚めることができるのである。

と瑞法師は言っています。

*観音様と対面する

「南無観世音菩薩」観音像を拝むと、これは忘れかけていたもう一

人の自分、かけがえのない自分と対面する事なのです。

本物の世界と現在の娑婆世界、本物の自分と自我にとじこもる自

分、この二つの間の交を取り持つ電話交換手のようなもの、それが

観音様です。

坐禅の坐の字という字は、人が二人土の上に居る。一人の人間

が、現在あくせくと生きている人間ならば、もう一人の人間は、あく

せく生きながらも、ああもしたい、ああもなりたい、こうもしたいと理

想として追求する人間であります。

この二人の人間が土の上に立っている。これが我々人間の姿なの

です。

観音様をお詣りするということは、現実に生きていると言う自分が、

もう一人の理想としてる自分を拝むことです。

観音巡礼というのは、本物の自分を再発見するための旅。自己確

認の旅であると言えます。

観音経の教えー1

「観音経を読む」雲輪 瑞法著より。

まず、お経と言うと線香臭い・坊さんが唱える訳の分から

ない言葉と思う方が大半でしょう。しかし、お教文とは、

人が生きて行く事に対する大切な教えを説いているものな

のです。決して無碍に出来ない大切な教えなのです。

「観音経を読む」この著書を読んで自分が感じたことを記

します。

良くお坊さんが読む「妙法蓮華経観世音菩薩普門品第二十

五」とは法華経の中の第二十五番目に記載されているお経

です。通常は「観音経」と言われている経文です。

このお経は人間自覚のための経文であります。

*この世で第一番に難儀、難しいのは、自分自身の限りなく

揺れ動く心、どうしうもない、この自分自身との対決で無

かろうか。

人間の心とは、常にころころと変化する。だから「こころ」

と言うのであろうか。

捉えどころなき、つかみどころなきものである。先刻の自分

と、只今の自分、もろん、一瞬一秒の怠りもなくこの肉体

は変化する。が心も又限りなき移ろいさいゆくのである。

自分の寿命(死)を考える。

私は当年取って77才です。これから先何年生きられるか?時々考えます。

皆さんに若いですね('_')などとよく言われます。健康診断は毎年しています。血

圧・血糖値・コルステロール等、何も再検査と言われたことはありません。掛かり

付けの担当医も首をひねっています。たばこは吸う酒は飲む(毎晩晩酌します)

し、おかしいと言っています。

私は入れ歯は一本もありません(毎日食後には歯磨きします)。同年輩の友人達は

会えば病気や薬の話が良く出ます。姿勢も後ろから見ると老人姿勢です。私は姿勢

には注意しています。まっすぐ立って背筋を伸ばして歩くことを心掛けています。

若いと言われる由縁は姿勢にあるのかと思います。

しかし、77才です。あと何年元気でいられるか?考えます。

人間は寿命と言いますが、私は耐用年数だと思っています。人間以外では、どんな

物でも耐用年数があります。どんな良いものでも必要とされなければ捨てられた

解体されます。人間だって同じではないかと思っています。この世の中で必要とさ

れ無くなれば耐用年数終了です。その耐用年数が何時になるかが心配です。未だに

元気で居られるのは、まだ世の中に必要とされているのかな、と思っています。

自利利他の精神でこれからも皆さんのお役に立ちたいと思っています。

未だに日本全国自家用車で出かけています。今月は新潟県糸魚川まで行く予定で

す。これからも耐用年数がくるまで頑張りまーす。(^^)/

感心なお母さん。

先日相談に来訪された奥さんは感心なお母さんです。なかなか誰にも出来そうもな

ことをしています。

自分の従兄弟の子を、乳飲み子からこの春高校を卒業して、現在も自分の子供が3人

居るのに面倒を見ています。実父は東京に居るそうですが、高校を卒業して父親と

住む予定で東京に行ったのですが1か月で帰ってきてしまったとの事です。

やっぱり育ての親が良いのでしょうね。「大変なんですよ」と言いながら笑顔で話

すこのお母さんはビックママです。年齢は42才のお母さんです。偉いですね。

たとえ血の繋がりはあっても出来るものではありません。お母さんの鏡ですね。

「人情」

今日、菜園に行くと近所の小母さんが犬の散歩をしていました。自分の菜園に立ち

寄って野菜談義をしてお帰りになりました。しばらくすると又来園され、手には冷

たお茶・リポビタン・チョコレートを持って差し入れに来てくれました。嬉しい

ですね。丁寧にお礼を言って頂戴しました。家内と「なかなか出来ることじゃない

ね」と話しました。

「人情」古い言葉かもしれませんが脈々と生きていました。帰りに菜園で収穫した

キャベツを届け丁寧にお礼を言って帰ってきました。気持ちいいですね(^o^)/

因果応報。

皆さんはこの言葉を知っていますか?

因果応報

(仏) 前世における行為の結果として現在における幸不幸があり、現世における行

為の結果として来世における幸不幸が生じること。

時代が変わっても人間の本質は変わていません。よく「時代が違う」と言う言葉を

聞きますが、人間そのものは昔と一切変わっていません。何回か書きましたが、あ

なたは現代に生きているということは両親・ご先祖があってのことです。

あなたを十代遡ると1024人のご先祖様が居るのです。その人達のDNAをあなたは

引き継いでいるのです。

近所の独居老人の来訪。

近所の市営アパートにお住いの70才になるご婦人が突然来訪しました。以前に1回

近所の知り合いの夫人と一緒に来られたことがありました。家内が公園を散歩中に

知り合いになったそうです。お話を聞くと、1月に主人を亡くしその後歩行中に足

を骨折し、やっと歩けるようになったとの事でした。自宅療養中にアパートの部屋

から公園を眺めていたそうです。一人で毎日家の中でテレビを見ながら過ごしてい

たそうですが、話し相手もなく、いろいろ考えてしまって鬱病になりそうで誰かと

話がしたいと急に家内の事を思い出して来られたそうです。

そんな寂しい時は遠慮せずに何時でもお出でくださいと言ってあげると、突然テー

ブルにうつ伏し号泣してしまいました。優しい言葉を他人が掛けてくれたことに突

然込みあげてきたそうです。落ち着いてからいろいろお話を聞かせて頂きました。

栃木県出身で近くに誰も知り合いは居ないし、主人に亡くなられて、急に一人に

なってしまった寂しさに耐えられなくなってしまったそうです。

今、世の中が抱えている独居老人問題です。良くマスコミで報道されています独居

老人の忘れられた「死」です。この問題を地で行くような例です。

その後、私の菜園に案内しキャベツや三つ葉、キヌサヤなどを収穫し持たせてあげ

ました。菜園に着くと「空気が美味しく気分が晴れる」と言って元気を取り戻した

ような感じです。帰りに「また来てもいいですか?」と言ったので、何時でも寂し

くなったらおいでなさい。と言ってあげました。嬉しそうに野菜を持ってお帰りに

なりました。

これでまた、一人救うことができたような気持ちになりました。この老人問題は周

辺の人皆で考えなくてはならない問題です。

「忙しい」と言う字は心を亡くすと書きます。

仕事仲間の研究会が湯西川温泉で開催されました。ロビーでコーヒーを飲みながら

の時間に皆さん忙しい話をされています。自分から奥さんに何処かへ行こうか?と

誘ったことがない友人が居ます。忙しくてその気になれないとの話でしたので、話

をさせて頂きました。「忙しい」という字は「心を亡くす」と書きます。忙しいと

人間本来の心を亡くします。イライラしたりクシャクシャしたりして自分の心が定

まらないのです。ですから、たまには現実から離れて、ゆっくりした時間の中で本

来の自分を見つめ直すことも大切ではないか。と話しました。本人も納得した様子

で、今度そのような時間を作りたいと言っていました。

人間だれしも日頃忙しいですが、時間を作ってゆったりした気分で自分を見つめ直

す事も大切ではないでしょうか。

「感」

自分の親しい人々の状況について私の感が良く当たります。数日前のお世話になっ

た先輩、家を訪ねたのですが留守でしたが何となく入院しているのではないかと思

い家族の方に電話したところ、やはり入院していました。早速お見舞いに行きまし

たが本人は誰にも言わずにいたので見舞客は私が一番乗りでした。又、今日はマ

ミーが何処かへ行きたいと言うので車を当てもなく走らせました。数日前から行き

たいと思っていた兄の墓参りをと思い、急遽埼玉県の飯能市に向かいました。霊園

に着いたのが11時半、丁度2時間です。無事お花と線香を手向けて墓参りを終えて

兄の自宅へ向かいましたが留守でした。何となく、もしかしたら義理姉は入院して

いるのではないかと思い、兄の娘に電話したところ案の定入院していました。早速

病院の場所を聞き見舞って来ました。というように何んとなくの感が当たります。

自分でもビックリしています。

自分の問題の解決法は。

私の師匠の残した言葉(法華経の知恵)にある教えを記載します。

仏教のほとんどの宗派では、お経文をあげる前に次のような開経偈(かいきょう

げ)を読み上げます。「無上甚深微妙の法は、百千萬劫にも遭遇たてまつること難

し。我今見聞し受持することを得たり。願わくは如来の第一義を解せん」

これは大変すばらしいことです。「無上甚深微妙の法は、百千萬劫にも遭遇たてま

つること難し」と言って、人間は何千回、何万回も生まれ変わって、ようやくこの

度、仏様と巡り会うことができたのだという事です。お経、つまり教えを見たり聞

いたりすることが、今やっとできるようになったということです。

「如来の第一義を解せん」の如来とはお釈迦様の事です。「第一義を解せん」と

は、この世の中の仕組み、つまりお経のことです。それを身につけたいと願うこと

なのです。だから、日々お経をあげていると、一つ一つ自分のものになっていきま

す。するとお寺さんの説法などを聞いたとき「これは、お経のこの所を言っている

のだな」と言うようにわかってきて、自分でお経を解釈出来るようになってきま

す。すると、お釈迦様の教えに照らして、なんでも善意に受け取ることができます。

人間は、目の前に起こったこと、いやな事でもなんでも「これは私にとって、丁度

いいんだ」と受け止めるのが正解です。そのような受け止め方とは、「善意」です

から、結果として素晴らしいものが出て来ます。

何か問題が起こっても「これは自分に相応しい問題なんだ。よし、どうやって解決

してやろうか」という前向きのの姿勢、「善意」に受け止めるとなんでも解決出来

るのです。なぜなら、あなたの人生ですから、あなたに解決できる問題しか出て来

ませんもの。皆さんいいですか。人生には自分で解決できない問題は決して現れま

せん。

「困ったなー」と思えば、困ったことにしかなりません。人間とは、そういうも

なのです。それがお経の中にあるこの世の仕組み、「第一義」、つまり「空」な

です。

怪我や事故を起こしやすい日。

午後来訪者があり話を聞きました。何んということはないのですが、車の事故をご

夫婦で同じ日に起こしてしまったそうです。幸い軽い事故だったので良かったので

すが・・と言っていました。

連休明けの13日(一白水星)だったそうです。事故やケガを起こしやすい日があり

ます。一白水星・六白金星・八白土星の日。自分の星が北(困難宮)・北東(鬼

門)の方位にある時は怪我や事故が発生しやすいと言われています。カレンダーを

見て毎日確認して行動してください。もちろん今年の五黄土星(北)・四緑木星

(南)は誰でもご注意を。五黄殺・暗剣殺の方位です。

不思議に該当する事が多いです。

弱肉強食の現実。

我が家には茶の間の目の前(1m程度)にメジロのためのミカンを置くところがあり

ます。又その先にはスズメやシジュウカラなどのエサ台を設置しています。

毎日ツガイで来るメジロは自然で綺麗で可愛いです。私がミカンを置くと間髪を入

れず直ぐ啄ばみに来ます。ところがこの数日間メジロが来ません。いつもメジロや

スズメがエサ台に来ると必ずヒヨドリが飛んできて小鳥を攻撃していました。自分

のテリトリーと決めて他の鳥が来ると追い出そうとしているようです。それでメジ

ロは来なくなったと思っていましたが、たまたま庭に出てみたところ踏み石の側に

メジロの頭が落ちているのを発見しました。頭は直ぐに木の下え埋めてあげました

が、これでメジロが来ない理由がわかりました。ツガイのどちらかがヒヨドリの犠

牲になったのです。可哀そうなことをしました。そして自然界における弱肉強食を

目の当りにしてショックを受けました。

人間界でも色々な面で弱肉強食のシーンがありますが、目につかないので感じるこ

とは少ないと思いますが、あまりいい感じはしませんね。互いに相手を尊敬しつつ

一緒に生きたいものです。

方位除け。

2月6日(火) 友引 三碧木星  柴又帝釈天参拝。

恒例の柴又帝釈天参拝に行って来ました。今回は自分の九星が

北方に位置するので位除けをお願いしました。本堂にて方位除け

をして頂きお札を頂いてきました。これで今年も無事過ごせそうな

気がします。今日は暖かでよい日でした。

幸せのために 某食品会社の会長の言葉。

「幸せのために」という話を読みました。食品会社の会長の話です。

会社経営の大切なことは「フアンづくり」です。お客様ではなく「フアン」、日本語

で信者とも言います。

「儲」かるという字は信者と書きますから、会社が儲けたかったら信者を作らなけ

ればいけない。

たくさんの信者が居たら会社は安泰です。では、どうしたら信者になってくれるの

か、これを何時も社員に考えさせています。

それにはまず、尊敬される会社にならなくてはいけません。ではどうするか。そも

そも倒産したら当然なんにもなりませんから、いつでも良い状態で永続しなくては

なりません。社員教育をして、社員一人一人が世の中の為になるような行動をしな

くてはなりません。まずは会社が美しくなければ誰も尊敬しないでしょう。

だからまずは掃除です。業者に頼んで綺麗になっているのでは、誰も偉いとは思っ

てくれません。自分達でやらねば意味がない。

経営も同じです。単に儲ければよいのではなく、もう少し哲学的な経営論を持つこ

とです。有名な松下幸之助さんや京セラの稲盛和夫さんは若いころ肺結核を患って

います。若いころに生死の問題と向き合うことはとても大事なことだけれどもなか

なかそれは出来ません。しかし教育の根本はやはりその辺にあるのだと思います。

昔の教育は、どう生きるかとか人生はたった一度とか、道徳にかなり力を入れられ

ていましたが、今はあまり教えられていないのでしょう。知識とかスキルを教える

のが教育だと勘違いしている。

会社の経営も同じです。会社は利益を上げるのが目的と思っている人がずいぶんい

ますが、全く違います。

私は、人間の営みのすべては幸せのためにあるという結論を持っています。勉強会

を開く、学校を作る、お寺をつくる、会社を作って商売をする、そんな人間の営み

は全て幸せのためにやっているのです。皆が幸せを求めている。

にもかかわらず人間の営みの最大のものと言われる経済活動の中で、倒産があり、

首きりがあり、移転があり、いろいろなトラブルが起きて不幸な人がたくさん生み

出されているというのは一体どういうことなのか。

ですからこの会社は、たとえ大きくなっても上場はしないと決めました。上場しな

くても、みんなが幸せになれる会社をつくれば、それでいいのです。

会社は「利他」をしなければ上手くいきません。他人のため、地域のため、世の中

のためにつくしていくことです。

社員の幸せを通じて社会に貢献していくことが、企業のあるべき姿だと考えていま

す。

途中割愛してありますが、経営者としての心得を再考する言葉でした。

住職の言葉。実れば実るほど・・・

大慈院住職  戸田実山 さんの言葉より

「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」

稲穂は実れば実るほど頭を垂れるものなのだ。人間も実れば実るほど、偉くなれば

なるほど頭を垂れなくてはならない。ところが近頃は大企業の偉い方や、偉い政治

家がテレビカメラの前で何度も何度も頭を下げさせられている姿が映し出されてい

ます。あれは実った稲穂が頭を垂れているのとは大違い、一体誰に誰に向かって下

げられている頭なのでしょう。多分、いつの間にか自分の力を過信し、俺は偉いん

だ。と思い違いをしてしまう。上から物を言うようになり、そのうち人を見下し、

実り過ぎてジュクジュクに熟れた柿のようになって、地面に落ちて泥まみれしま

う。

一代で世界に冠たる会社を立ち上げた偉大な起業家も、いつの間にか世界から消え

てしまう。これは、政治家や実業家だけでなく一般人・僧侶も特に気を付けなけれ

ばならない事柄なのだと思います。今時の若い僧侶は、昔の老練謙虚な僧侶程でな

いにしても、俺たちは別だ(何が別なのか解かりませんが)、という少し間違った

優越感が時たま頭を出し世間の顰蹙を買う。

今こそ「実れば実るほど頭を垂れる稲穂かな」の事を心掛けたいものです。と言っ

ています。

私もいつも思います、子供のいじめによる自殺。学校の対応に対していつも思うこ

とは、先生自身の自分の身を守るために「知らなかった」という言葉です。そして

現場の先生を統括する教育委員会の偉そうな態度です。追及されると現状を認めテ

レビの画面で頭を下げて謝る。何時もこの状況です。何度テレビで見たことでしょ

う。

昔から、誤って済むのなら警察はいらない。という言葉があります。もう一度考え

直さなければならないことです。

以前に学校の先生がお見えになり、荒れた自分の子供たちの教室をどうしたらよい

でしょうか?と相談されたことがあります。私が先生に質問しました、教育とは何

ですか?、授業とは何ですか?先生は答えられませんでした。

その意味を話してあげましたが、教育者である先生がこれでは困りますね。

賢者の言葉。  利他という心で帆を揚げる。

*利他という心で帆を上げる    稲盛和夫さん・五木寛之さんの対談の言葉。

 稲盛・・・利他という心で帆を揚げておけば必ず他力の風を受けられる。他力の

風を受けて生きる。他力を受けるためには自分で帆を揚げなくてはいけない。その

帆を揚げる作業とは何かというと、それは自分の心をきれいにして、利己まみれの

心ではなく、人様の為に何かしてあげようという美しい優しい思いやりの心にする

こと。つまり利他の心を持つという事です。利他という心で帆を揚げておけば必ず

他力の風を受けられるのです。

運命というのは心によって変えられると思っているのです。その心が信念まで高

まったものであれば、それによって運命は変えられる。

五木・・・「ここは独力で頑張ろうと、何とかしよう」という気持ちになった時

に、後ろから他力が肩を押してくれるんですよ。だから他力は自分の母なのだと、

僕はいつも言っているのです。

稲盛・・・豊かな情操というものは、心優しい心から生まれてくる。運命を変えて

ゆくというのは、他力の風を受ける帆を揚げて、仏の力、自然の力、たくさんの人

の力を受けることではないだろうか。

天地自然の神様に感謝という気持ちがない人は実業界では成功していない。

五木・・・「お陰様です」「自然万物、世間皆様方のおかげで何とか儲けさせても

らっています」「ありがたいことです」・・・・こういうお陰様でという気持ちを

持つことが大切でしょう。

禅語  帰家穏座(きかおんざ)

*帰家穏坐(きかおんざ)     邪心の無い心に帰る

 家に帰ってホットする。穏やかな気分になるという意味ですが、禅的に解釈すれ

ば悟りの世界を言ったものです。

無心、悟りの頂点。本来持っている純真無垢な精神性、清らかな真っ白な、とでも

いう赤ん坊のような邪心の無い心に帰るという事です。

諸者(住職)は言っています。最近特に間違っていると感じているのは、それは、

おじいさん、おばあさんの葬儀に孫を連れてこない親が居るという事です。理由を

聞きますと「塾があるから」「学校を一日休むと、もうついてゆけなくなる」いう

のです。今や家で家族が看取るという事がほとんどなくなっている環境で、老・

病・死というものを現実から遠ざけています。

せめて亡くなった葬儀にだけは、人の親として見せてあげて欲しいのです。

人間教育は、学校の勉強だけでは出来ないのです。人生をちゃんと歩めなければ人

間ではないのです。諸々の取り返しのつかない事件がそのことを物語っています。

悟りの世界は分からなくても、家に帰ってリラックスするという事は理解できると

思います。しかし、そういう環境が無くなってしまった時、子供が親を殺したり、

親が子供を殺したりという事が起きて来るのだと思います。

諸事業を始める前に。

諸事業を始めたい、とお考えの方は成功するために是非ご一読ください。

事業を始めて永続き出来ず途中で失敗する方が大勢います。

なぜ失敗するのか?それは始めるときの心構えが成功する人と違うからです。

成功して長く続けたいと思う方は是非ご一読ください。ちょっと考え方を変えるだ

で成功する事になる事請け合いです。 

「成功する心構え」(トップページサイドバー)をご一読ください。

観音経偈を読み終えました。

松原泰三さんの「観音経入門」を読み始め昨夜やっと読み終えました。

自分なりに納得できる内容をノートに写しながらの読破でした。大学ノート38ペー

になりました。誰でも理解できるように清書するつもりです。出来上がったら又

掲載したいと思っています。観音経はもう一人の自分発見、慈悲と勇気をと言われ

ますが、それを本当に戴いたような気がします。松原先生の本は愛読するつもりで

す。

現在は、「往生要集」源信著に挑戦しています。かなり難しい内容ですが何とか読

破したいと頑張っています。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

人は誰も幸せになるために生まれてきたのです。
自分や家族のいろいろなお悩みの相談を受けています。
汝、悩むことなかれ。どんな人でも悩みの無い人は居ません。
早く心と気持ちを軽くして、前を向いて生きて行きましょう。
多くの方が心と気持ちを軽くして幸せになっています。
どんなことでもご一報ください、無料で相談させて頂いています。