人は練磨により仁となる。  道元

玉は磨くことで初めて価値が出る。人も自らを磨き鍛錬して初めて真の人

となる。世の中に初めから光り輝いている玉があるだろうか。初めから優

れた働きをする人がいようか。とすれば、必ず磨き、鍛錬すべきである。

決して能力や素質が無いと自らを卑下して道を学ぶ努力を怠ってはいけ

ない。

人生においてもう一つ大切なのは、自分を磨いてくれる師匠を見つける、

自分にとっての伯楽を見つけると言う事も欠かせない。

もちろん、それは運命的な出会いや巡り合いによる場合も多いが、自らそ

ういった人を求め続けていればそういった伯楽と巡り合えるチャンスも増え

る。又、いまだに自分を完全に磨いてくれる伯楽が見つからなかったとして

も、自分を認め励ましてくれる友人も立派な伯楽であり、そんな伯楽な友

を持つことは人生を味わい深いものにしてくれる。

と言っています。あなたも自分の師匠や伯楽な友をもっていますか?

貫き通してこそ・・・「唐書」

人は何らかの目標を立てる。その時、その願いが叶うかどうか、先くぐり

して考えない方が良いでしょう。

目標を実現することが肝心なのではない。目標に向かって一歩一歩進む

ことが大切なのである。

もともと人間の寿命は約束されていない。

人生とは生き続ける事である。生きることに張合いを感じること。それが人生の喜びである。

到達が問題なのではない。過程こそが人生のすべてなのである。

以上のように記されています。 あなたはどう思いますか?

目標に向かって日々努力することが人生のすべてであると言う事のようです。

二人目の子供が10月に生まれるので名前を選んでほしいとの相談があ

りました。一人目も相談受け選んであげました。今度は男の子だそうで

す。

10月に生まれるお子さんが3人います。名前の相談を受けています。

先月相談に来られたお嫁さんのお父さんは一つの名前だけ書いてきまし

たが、これがズバリ良い名前で今迄に一つだけの名前でこんな良い名前

はありませんでした。若干の問題はありましたがそれは、将来自分で変え

る事ができる事なのでその旨書いてあげました。大きくなったら子供に持

たせるそうです。

命名はその子の一生を左右するかもしれない、などと言われますので慎

重に取掛っています。

「敵を知り己を知れば・・・・・」として知られる格言の原点。

敵を知ることは難しいが、己を知ることはもっと難しいことです。「言うは易

し、行うがは難し」ではないがもし己を十分知ることが出来るなら、それだ

け傑出した人物と言えるでしょう。

岩波茂雄が自分と他人を比べ、その力を計る時の心構えについて語って

いる。

「相手が自分よりチョット上だなと思った時はものすごく上だなと思え、相手

が自分と同じくらいだと思った時は相当上だと思え、相手が自分よりかなり

下だと思った時が丁度自分と同じくらいなのだ」

この言葉は、人間がとかく自分を過信し過大評価してしまいがちなのを戒

め、他人を評価するときのポイントを明かしている。

つまるところ、絶えず自分の過信を抑え調整する意志力がカギになってく

るのだろう。と、言っています。岩波茂雄・傑出した人物ですね。  自重・

自重・・・・。

われ、事において後悔せず宮本武蔵の言葉の一節です。

人間が成長するのは、すべてについて反省するからである。過去現在に

おける自分の言動を、顧みて静かに点検する。そして今後は過ちの少な

からんことを願う。

これからはもっと賢く世に生きようとする。つまり、反省は前向きだから意

味があるのです。

反省の度が過ぎて後悔となる、後悔の念があまりに深すぎると、だんだん

自己嫌悪におちいる。そしてだんだん落ち込むのです。後悔は未来への

バネにはならない。後悔は人間を奮い立たせてくれないのです。

明日に向かって反省はするが、昨日にこだわる後悔に沈み込まない。ここ

の兼ね合いに処する知恵が、人生に意欲を生むでしょう。

と、書かれています。如何ですか?

今、「仏教対人心理学読本」小池龍之介著。を読み始めました。

現実の中で「ありのままの自分」をさらけ出して生きる事は不可能である、

と説いています。

常に人は、本当の自分を抑えて建前を作って周りに自分を合わせて生き

ているのです。本当の自分をさらけ出せるのは恋人か家族以外にはない

ようです。

この建前(嘘の自分)のおかげでストレスがたまるような気がします。本当

の自分をさらけ出せる環境に中に居られたら、こんな気楽なことはないで

しょうね。

面白い本ですので読みこんでゆきたいと思います。   ではまた後で

何事にも成功するために心がける事、それは「己に克つ」ことである。

西郷隆盛の「己に克つ」について

道は天地自然の道理であり摂理であるから、学問の修得は敬天愛人を目

的とし、自己修行には己に克つということを絶えず心がけることだ。己に克

つための鍵は、論語にあるように「あて推量をしない、無理押しをしない。

固執しない。我を通さない」ことだ。

すべからく人は己に克つことによって成功し、己を愛することによって失敗

する。

成功するまではよく己を慎み、事に対しても慎重に行うから成功もし名も

顕れてくる。ところが、成功して有名になるに従って、いつの間にか自分を

愛する心が起こり、おそれ慎み自らをいましめるという気持ちが緩み、おご

りたかぶる気分が生じ、その成功した事業をたのみに自分には何でもでき

るという過信のもとにまずい仕事をするようになり、ついには失敗してしま

う。これらは皆、自ら招いた結果である。

だから、絶えず己に克ち、人の見ていないところでも聞いていないところで

も自分を慎み戒めなければならない。

と、書いています。私も、もう一度「己に克つ」ために反省しようと思います。

何故こんなにうつ病になってしまう人が多いのか?考えてことはありませ

んか。

うつ病は本当は病気ではないのです。通常私どもはは「贅沢病」と言って

います。

裕福な方が掛るのです。ギリギリの生活をしている人ははかからないので

す。

それは、悩んでいられない生活環境にあるからだと思います。今を働かな

くては生活ができないからです。

生活優先で悩んでなんかいられませんからね。

「うつ病」これは現代社会のひずみで起きる問題です。

親しい友人がいない。話し相手がいない。相談する人もいない。これは、

現代社会が利己主義社会だからです。他人はどうでもいい、自分が優先、

人の事なんかかまっていられない、などの風潮が蔓延っているせいです。

皆さん、親しい信頼できる友人を一人は作りましょう。そして友達をたくさん

作るようにしてください。

人々にとって理想の人生とは何でしょうか。

「道元」の言葉に 「舟のほかに我はなし」と言う言葉があります。

現代風に解釈しますと自分の人生を考えるときに、「生きている」という面

からだけ考えてはいけない。「生かされている」という面も忘れてはならな

い。それがないと傲慢不遜な人間で終わってしまう。

「生きている自分」と「生かされている自分」の二つの面から自分を捉え直

し、それでは自分はどう生きたいのか、一方で社会の為にどう役立ちたい

のかを考え、出来るだけその二つが融合できるように人生を歩んでいくの

が理想の人生と言えよう。    と言う事です。皆で理想の人生を歩みた

いものですね。

聞く耳を持つことは大変重要なことです。

聞く耳を持たないと人生が暗転します。

年上の人の話や、周囲の人のアドバイスには素直に耳を傾けて聞くことが

大切です。

そして自分なりに取り入れてゆけばいいのです。

話は真剣に聞くことが大切です。聞いたら実行することです。これで人生

好転するのです。

ある方が乳がんになりました。知人がいろいろと経験話をしアドバイスした

そうですが、一切話を受け付けなかったそうです。数か月後亡くなったそう

です。その知人はたいそう残念がっていました。

少しでも聞いてくれたらそして行動してくれていたらと悔しがっていました。

どちらかと言えば高学歴の人が聞く耳を持たない方が多いようです。何で

でしょうかね?

皆さんも「聞く耳を」持ってください。幸せになるために。

青春・・・・・・・・サムエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞しき意

志、優れた創造力、もゆる情熱、怯儒を却ける勇猛心、安易を振り捨てる

冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。歳

月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心。空にきらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思

想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究

心、人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く  恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く    失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受

ける限り人の若さは失われない。

と書いています。老いて益々元気に生きたいものですね。

相談者の中には、自分が病気になったのは母親のせいにして恨んでいる

人がいます。

母親が切迫流産しそうになり、病院で子宮をクリップして持ちこたえて無事

生んでくれたのだそうです。

その処置が原因で病気になった、と自分よがりに思い込み母親を恨んで

いたというのです。

それだけ母親は苦労して我慢して無事に生んでくれたのです。ですから本

人はこの世に存在するのです。

もし流産していたら本人はこのよに存在しないわけです。それを思ったら

母親に感謝するだけで、恨むなんてとんでもないことです。 (-_-メ)

皆さんの中に親を恨んでいる人がいたら、それは大きな間違いです。両

親・ご先祖様がいたから自分はこの世に存在するのです。もしそういう人

がいたら即、改めてください。

すると、顔も柔和になり気持ちも落ち着いて、何事も上手くいくようになりま

すよ。(^_^)

この世に生きている事に精一杯感謝して生活してください。

感謝の気持ちを忘れると何事も上手くいきません。

「五十にして天命を知る」・・・・・・論語

子曰く、吾十五有にして学に志す。

三十にして立つ。四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。六十にして耳順う。

七十にして心の欲する所に従えど、矩を踰えず。

「意訳」

孔子は言った。私は十五歳ころから学問を志した。三十にして、その

学問についての見識を確立した。

四十歳の頃では理が明らかになり、物事に惑うことがなくなった。

五十歳になって、天から与えられた使命を自覚した。

六十歳の頃は、何を聞いても分かるようになったし、差しさわりがなく

なった。

七十歳になっては、心の欲するままに行うことが、いつでも道徳の規

準に合って、道理に違うことがなくなった。

「五十にして惑わず」聞いたことがある言葉ですね。この言葉を見聞す

ると孔子の偉大さが伝わってきますね。我々もこう生きたいと思いま

せんか。

毎年のように悩んだり、苦しんだり、世をはかなんで自殺者が3万人以上

もいると言うニュースを見ます。この世の中に、せっかく生を受けて生まれ

てきたのに悲しいことであり罪なことです。

この世に存在するもので不必要・不要なものは何もありません。

人間をはじめとし、植物・動物・器具・道具など必要であるから存在するの

す。

器具や道具は壊れたり古くなって使われなくなってしまうまでは必要なも

のです。

自分は「この世の中で必要とされていない」などと思い詰めて自暴自棄に

なったり自殺したりすることは大きな間違いであり罪作りです。

人間はこの世に必要とされない場合は、母親にお願いして胎内に宿っても

無事に生まれてくることは出来ないのです。流産したりして生を受けられま

せん。

必要とされるから生まれてこられ現在も存在するのです。

その人、ものには個々にこの世に中での役割があるのです。特に人間は

個々の特徴があります。

自分に与えられた範囲の中で努力して生きてゆくことが大切なのです。今

現在置かれている環境の中で精一杯努力すれば必ず光が見えてきます。

いろいろとお悩みはあるでしょうが、何事も自分に合った問題しか起こりま

せん。そして自分で解決出来ない問題はないと言われています。

もう一度問題を振り返って再考してみてください。ほとんど自分の行動・言

動の結果であることに気が付くことでしょう。

私は死ぬ時のことを考えますと、年を取ってこの世で必要なくなった時(耐

用年数)が死ぬ時だと思っています。

極楽(しあわせ)と地獄(ふしあわせ)の岐かれ道。

   「幸福への道」              「不幸を自分で造る人」

人も自分も尊敬できる人。         心の暗い人、不愉快に暮らす

                          人。

常に反省し素直に改める人。       絶えず不満や愚痴の多い人。

何事も善意に解釈する人。         陰口が多く人の和を乱す人。

孝心深い人、恩に報いる人。        信仰心がなく自我の強い人。

親切で人の為によく尽くす人。       心が狭くすぐ腹を立てる人。

恥を知る人、偽りのない人。        利己的気侭自分本位の人。

生きがいを求め精進する人。        慾の強い人、自惚れの強い人。

夢と希望に笑顔で生きる人。        義理より権利を主張する人。

など、いろいろと書かれていますが、あなたはどちらの道を進みますか。

「いろは」とは物事の基礎、家の土台。あまり面白いところとは思えない。

何事につけ基礎訓練なんていうのは退屈です。地味で、しかし、奥が深い

のが厄介です。

でも、ここをすっぽかして、楽しいかっこいい応用編から入ろうとしても無理

です。

横着や焦りは禁物です。物事をきちんと修得するには、やっぱり「いろは」

が大切です。

急がば回れ。最初は足腰を鍛えて、かまえが出来る様になるまでは「いろ

は」を学ぶ。

その後やっと、醍醐味に近づける長い道が見えてきます。その道すがら、

いつでも忘れてならないものは「いろは」です。

修行の最後のやっとわかるのも「いろは」です。と言っています。

物事には順序と言うのがあります。順序を踏まないで何事かすると上手く

はゆきませんね。

やはり「いろは」でしょうか。

久し振りの日光東照宮です。

左甚五郎の作と言われる彫り物を撮ってきました。

何を言わんとしているのやら・・・・・・。

三猿

眠り猫

苔むした杉

見事な彫り物ですね。苔むした杉の根基、歴史を感じます。

 

苦は楽しみの種・・・・・・・徳川光圀

一、 苦は楽しみの種、楽は苦の種と知るべし。

一、 主人と親とは、無理なるものと思え、下人は足らぬものと知るべし。

    無理なるもの=理屈が通らないもの。

一、 子ほど親を思え、子なき者は身にたくらべる、ちかき手本と知るべ

    し。         身にたくらべる=自分の身を思う気持ちとくらべてみる。

一、 掟におじ怯じよ、火におじよ、分別なき者におじよ、恩を忘るる事な

    かれ。             怯(お)じよ=恐れなさい。

一、 慾と色と酒とをかたきと知るべし。」

一、 朝寝すべからず。話の長座すべからず。

一、 小なる事は分別せよ。大きなる事は驚くべからず。

一、 九分にたらず、十分はこぼるると知るべし。

一、 分別は堪忍にあるべしと知るべし。

光圀は恩を忘れるなという。まさにその通りで、日本人が他人を評価する

ときの最終的な基準は、能力があるかないかではなく、「恩知らず」である

か、それとも「恩に報いる心を持っているか」である。人間の値打ちがこの

二つで最終的に決まる。

いかに有能であっても、「恩知らず」となれば、人が遠のいていく。逆に

少々能力に劣っていても、恩を忘れなければ一目置いてくれる。

自分を生かそうと思えば恩を忘れない。このことは、光圀の言を待つまで

もなく、時代を超えて、日本人社会で生き抜く根本である。 と書かれてい

ます。  ・・・・反省します・・・・

勢い、使い尽くすべからず」と言う言葉があります。

誰でも勢いにのっている時は、調子に乗って突っ走る傾向があります。

そんな絶好調の時こそ細心の注意をし、行動を慎むようにという禅語で

す。

勢いにのっている時は、力まかせに普段の用心深さも忘れ、人の助言も

聞かなくなっているものです。

勢いあまって本来の目的以外にも鉾先を向ける。勢いあまってついてくる

人たちを見失う。

勢いにまかせていると、弱いものが見えなくなる。勢いが人を傷つけ、自

分の首を絞める言動に走らせる。だから、腹八分目でやめておく知恵が生

まれたと言われています。

歴史を振り返れば、勢いに陰りがさすのは敵側の要素ではなく、きまって

自分が原因。

怪我や病気もそのうちです。と書いてあります。 慢心するべからずです

ね。

先人の知恵は素晴らしいと思いませんか。

禅語集を読んでいる中の言葉を記載します。

「光陰如矢」:こういんやのごとし。

聞いた言葉ですね。禅語では、光と陰とは、太陽と月のこと。

矢を放ったごとく、目くるめく過ぎ去ってゆく毎日。

何万年たっても一日も後戻りすることはありません。ただ太陽は急ぐ様子

もなく、なにくわぬ顔で輝いています。また月も同じように音も立てず慌て

ず、美しい満ち欠けを見せてくれています。

こんな天体(宇宙)のリズムに波乗りのように乗ってしまいましょう。

自分の小さな考えの中で自転して、空回りした時間を過ごしてしまわない

ように。

一日一度は空を見上げて、天体のリズムを感じてみてください。

決して「急げ急げ」とは言っていないはずです。

と解説しています。

宇宙のリズムに合わせて、自分のリズムとした方が良い結果が生まれる

のではないでしょうか。だって人間は宇宙の生き物ですからね。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

人は誰も幸せになるために生まれてきたのです。
自分や家族のいろいろなお悩みの相談を受けています。
汝、悩むことなかれ。どんな人でも悩みの無い人は居ません。
早く心と気持ちを軽くして、前を向いて生きて行きましょう。
多くの方が心と気持ちを軽くして幸せになっています。
どんなことでもご一報ください、無料で相談させて頂いています。