仏の知恵
釈尊の入滅は、大衆の心を「仏の智慧」に引き付ける方便にすぎないとわかった菩薩たちは、如来は、無量の寿命をもち、いつ、いかなる時でも、自分たちと一緒にいてくれるのだと信ずる事が出来た。菩薩たちは、数えることが出来ないほどの衆生が、そのことによって大きな大きな利益を得たと感じとっていた。
その大きな利益とは一体、何を意味するののだろうか。現世に財産をつかめるとか、今すぐ良い地位につけるとか、病気が治るとかという、現世利益の事を意味してはいない。「仏の智慧」は、物を得ることを目的としていない。あくまで、心の持ち方のよって、無明の闇から抜け出すことが出来るという利益なのである。如来の生命の永遠不滅を信じ、いつも自分の心に如来が居てくれると思えば、その心は光を明発するようになり、明るく、清らかになってくる。
人は心に念(おもう)ことがあると、やがてそのようになっていく。心の中に仏の光明を宿していけば、それが自然に、心身から発散されてくるのだ。 と記されています。