突然の嬉しい電話。

2014年の8月終盤にうつ病でお預かりした21才の娘さん、殆ど口をきいてくれな

かったのですが2か月間一緒に暮らしました。私の力不足で完治させることは出来ま

せんでした。その後連絡が取れなかったのですが病院に入院して治療していたよう

です。

昨日の朝突然の電話がありました。それはもう今までの声ではなく元気いっぱいの

声でした。父親の知り合いの方の所へ就職することになったそうです。叔父さんに

会いたいと何度も言ってくれました。東京へ向かう車からの連絡でした。ずっと心

配していましたが社会復帰が出来たことに嬉しくて込みあげてくるものがありまし

た。本当に良かったです。そのうちにお会いできると思っています。楽しみに待っ

ていようと思います。元気にやってくれることを祈っています。

禅の言葉「両忘」

両忘」禅の言葉にありました。

                 「やる」とか「やらない」とかこだわらない。

人間はいつも迷いの中にいます。何か行動を起こそうとするときも、「やる

べきか、やらざるべきか」と迷う。現実的な迷いは、それをやったら「得か、

損か」ということかもしれません。

禅語の「両忘」は、善悪や迷語など、対立する概念を忘れ去った自由平等

な境地を意味する言葉です。善いとか悪いとか、勝手なレッテルを張らず

に、あるがままを受け取る、と言ったところでしょうか。

中国南北朝時代の僧・宝誌禅師の残した言葉です。「両忘すれば常に心

は静寂の境地となり、自然に真理と一体となることが出来る」

ああだ、こうだ、というはからいを忘れてしまえば、心はシーンと静まりか

えって、騒ぐところは一つもない。そんな心地の良い境地でいれば、おの

ずからの真理の中で生かされていることがわかる、といった意味でしょう。

自分の目の前にあるもの、たとえば、仕事でもそれ自体には得も損もない

のです。

思い切ってそれを忘れ、もっと楽に、自由に取り組んでみませんか。

と書いてありました。損得で生きていると静寂な心は生まれないでしょう

ね。

論語で見つけた言葉。

「徳は孤ならず必ず隣あり」
*徳のある人は孤立することなく、必ず良き協力者にめぐまれる。

たまたま読んでいた本に出ていましたので記載しました。仏教ではよく

「徳」を積みなさいと言われますが、徳とは何ですかと聞かれますが、

「自利利他」「忘己利他」という言葉になります。自分の利より他人の利

優先しなさい。ということですね。

なかなか難しい事ですが徳を積む人に悪人は居ないと言われています。

報告がありました。

今日正午頃市内のご婦人がしばらくぶりで訪ねて来ました。今日は休日なので先祖

の墓参りに行っての帰りと言っていました。

秩父の地蔵寺に行ってきたとの報告でした。結構遠かったと言っていましたが、

行ってきてとても良かったと言っていました。娘さんと二人で行って来たそうです

が、それなりの収穫はあったようです。再度旦那さんと行ってくるそうです。紫雲

山地蔵寺は日本三大の水子地蔵です。行ってみると誰もがビックリします。水子の

ある人は是非供養に行ってみてください。毎月1日から5日までは住職が滞在してい

ます。水子はいろいろな問題を起こします。代表的なのは、ご婦人の下の病気で

す。そのほかにもいろいろな障害を起こしますのでご供養してください。

子供が授からない場合にお参りすると授かった例がたくさんあります。

禅語   「当たり前のこと」をやればいい

平常心是道・・・へいじょうしんこれどう     禅…心の大掃除より

禅の言葉にあります。飾らない自分を見つけることが「悟り」と説いてい

ます。

「悟り」と聞けば、長きにわたる修行の末ようやく到達できる。特別な境

地だと考えている人が多いのではないでしょうか。

しかし、禅語は「平常心是道」と教えています。日々、当たり前のことを当

たり前にやっている心こそ道であり、悟りもそこにある、という意味です。

茶人の千利休も、茶の湯について「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を点

てて飲むばかりなるものとこれ知れ」という言葉を残しています。

なにも道を究めようなどと、力むことはないのです。ただ、今やるべきこと

を自分の命を込めて当たり前にやっていればいい。命を込めるとは、ひた

すら取り組むこと、といっていいかもしれません。

誰にもその瞬間、瞬間になすべきことがあります。それは仕事かもしれな

いし、勉強かも知れません。しかしいずれにせよ、「何かのためにする」

「これすれば何かが得られる」などと、とらわれることなく、目の前のことに

中して自分を投げ込む、そこに飾らない自分の姿があり、その心こそが

「悟り」でもあるのです。と言っています。

禅語   身の丈で生きる。

名利共休・・みょうりともにきゅうす。

禅の言葉にあります。

世間での名声や、豊かな富を手に入れれば、誇らしい気持ちになるもの

です。ただし、それは自分だけの「心の褒美」と心得ておくくらいがいいで

しょう。

名利共体とは全体では名声や利得に執着しない心を持つ、という意味で

す。

名声や利得を笠に着てふんぞり返ったり、傲岸不遜に振舞ったりするの

は、全体に、名声や利得に執着しているから。そんな態度を続けても、一

時は周囲に大勢の人が集まってくるかもしれませんが、もし名声や利得を

失ったらどうでしょうか,おそらくクモの子を散らすように人々は離れていく

はずです。

名声も利得もずっと持ち続けられるものではありません。何かあれば、い

とも簡単に消え去ってしまうものです。そんなものに執着せず、日常の中

で心の充足を見つけるようにしましょう。と言っています。

私の友人も会社が全盛のころは多くの人たちが集まって来て友人をちや

ほやしたものですが会社を〆た途端に誰も寄り付かなくなりました。みん

な自分の利得を考えて集まって来ていたのです。人間は寂しいものです

ね。

私は今でもその友人と付き合っています、それが利害を超えた真の友人

ではないかと思っています。

現代でも「人情」は捨てたものじゃない。

家内の退院後、知人の奥様が「肉じゃが」を作って届けてくださいました。

嬉しいですね。また、友人が私の好きなポンパドールのフランスパンを

2回にわたり届けに来てくれました。また、数日にわたり家内の状況を見

に来ていただいたりと「人情」古い言葉に聞こえますが未だに生きていま

す。嬉しい限り感謝感謝です。

世の中捨てたもんじゃないですね。

これからも人のお役に立てるよう精進します。

五月病?

五月に入り連休明けに多く発生すると言われる5月病。

新入社員に多いようですね。

早くも1件ありました。職場での人間関係で先輩社員の言葉の問題でし

た。

まだ就業したばかりの何も知らない若者に対する言葉遣いには、先輩社

員諸氏は注意しなければなりません。ちょっとした事にも戸惑う新入社員

です。

相談者は、何とか納得?我慢して就業していてホットしています。

最後の拝顔。

16日に亡くなった知人のお宅へ伺って拝顔し線香を手向けてきました。

穏やかな顔で眠っていました。人は生前に善行をしていると、亡くなった

時に穏やかないい顔をして居ります。悪行をしていると、それなりの顔に

なります。人は生前でも死後でもその人の心持が顔に表れています。

私は、顔を見るとほゞその人の心持が分かるようになりました。人間は善

行をしてポジテブに生きようではありませんか。明るく生きることが幸せに

つながります。

[ 性善説」

「性善説」と言う言葉がありました。

人間は善を行うべき道徳的本性を先天的に具有しており、悪の行為はそ

の本性を汚損・隠蔽することから起こるとっする説。正統的儒学者の人間

観。だそうです。孟子の首唱。

人は誰でも仏性を持っている。と同じような言葉ですね。

禅の心・「平常心是道」

禅の言葉に「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」と言う言葉がありま

す。

「当たり前のこと」をやればいい。飾らない自分を見つけることが「悟り」

{悟り」と聞けば、長きにわたる修行の末にようやく到達できる。特別な境

地だと思っている人が多いのではないでしょうか。しかし禅語は「平常心

是道」と教えています。日々、当たり前のことを当たり前にやっている心こ

そ道であり、悟りもそこにある。と言う意味です。

茶人の千利休も、茶の湯について「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を立

てて飲むばかりなるものとこそ知れ」と言う言葉を残しています。なにも道

を究めようなどと、力むことはないのです。ただ、今やるべきことを自分の

命を込めて当たり前にやればいい。命を込めるとは、ひたすら取り組むこ

と、と言ってもよいでしょう。

誰にでもその瞬間、瞬間になすべきことがあります。それは仕事か勉強か

もしれません。しかし、いずれにせよ、「何かの為にする」「これをすれば何

かが得られる」などと、捉われることなく、目の前のことに集中して自分を

投げ込む。そこに飾らない自分の姿があり、その心こそが「悟り」でもある

のです。と教えています。

禅の教え。「不生不死」

もっと肩の力を抜くには          
「生まれて、死ぬ」・・・・・ただそれだけ
生まれて、死ぬ。どんな人でもこの摂理から逃れることは出来ません。

だからこそ、少しでも長く生きることを願い、死ぬことに対して不安や恐

れを抱くことになるのでしょう。

禅語に「不生不死」と言う言葉があります。生死は変えようのない絶対

的なものだ、と言う意味です。

生も死も、私たちの手の及ばない絶対的なものなら、それについて思い

悩んだりしたって仕方ないのではないでしょうか。摂理に任せるほかあり

ません。任せきってしまえば、こだわる必要もなくなります。

「こんなふうに生きなくちゃ」とか「死ぬまでにこれだけはしておかないと」

といった縛りが心から消え去っていくのです。今この瞬間、自分が生きて

いる。「それだけですごいじゃないか!」と思える。その‘すごい自分,を真

剣に、そして、淡々と生きたらいい。

禅の心に沿った肩の力が抜けて生き方とは、きっとそんなものだと思うの

です。 

と書いてあります。なかなか難しいことですがそんな心境に慣れたらいい

ですね。

秋の彼岸入りです。

彼岸は日本独自の風習だそうです。彼岸にはご先祖様に感謝しながら

墓参りをしましょう。

彼岸の意味について記しまうす。

彼岸とは、「彼の岸」すなわち「悟り、涅槃の境地」を意味し、その語源は、

サンスクリット語「パーラミター(波羅蜜多)」の漢訳語「到彼岸」からきて

ます。

煩悩と迷いの世界である「此岸」から悟りの世界「彼岸」へ到達するため

に、「六波羅蜜」の修行を行ないます。彼岸はその修行をするための期間

でもあります。

※六波羅蜜(ろくはらみつ)とは、布施・持戒・忍辱・精進・禅定・智慧とい

  う六つの実践徳目。

六波羅蜜とは

布施波羅蜜:他人に対して広く施しをする実践。 (ふせはらみつ)

持戒波羅蜜:日常生活の諸規則を守る実践。   (じかいはらみつ)

忍辱波羅蜜:じっと我慢する実践。       (にんにくはらみつ)

精進波羅蜜:あらゆる努力を惜しまない実践。  (しょうじんはらみつ)

禅定波羅蜜:現在していることに心を集中させる実践。(ぜんじょうはらみ

つ)

般若波羅蜜:智慧を理解し実践し、上記五つの実践を支える。(はんにゃ

はらみつ)

彼岸こそ「菩提(ぼだい)」すなわち悟りに到達するための実践行をなす期

間として設定さ れた、仏教徒のための修業期間であったとされています。

彼岸の入り・彼岸の中日・彼岸明けということが言われていますが、もとも

とは、中日を はさんだ六日間の間に六波羅蜜多の一つを実践するすると

言うのが、彼岸の起源だったと 言われています。

お彼岸には、お墓参りをし、お花や線香を供え、真心の合掌を捧げる修行

が大切ですが、お参りは一度行ったら、後はほったらかしにするのではな

く、彼岸参りに限らず何度でも繰り返し行なうことが肝心なのです。

次兄の死。

病気療養中の次兄が7日に亡くなりました。眠ったままで苦しまずに亡く

なったそうです。通夜式告別式と所沢まで行ってきました。残念です。5人

兄弟のうち二人が亡くなり長兄と私と弟の3人になってしまいました。寂し

いですね。人間は生まれたからには死を迎えなければなりません。何人も

これを避けることは出来ません。仏教の言葉に「生老病死」とありますが、

正に人生は儚く短いものです。今を大切に一生懸命生きることにしたいと

思っています。

相手を思う。

人は、自我を捨て、相手を思い、感謝の気持ちを忘れない事が大切です。

自分が変われば相手も変わるものです。全て、自分に起こる問題は自分

に原因があると思ってください。相手や周りに問題があると思っているうち

は、まだまだです。心の持ち方次第で人生は開けるものです。

禅の教え。「卒哭」

「卒哭」 (そっこく)  生き方を変える。

自分が変わらなければ、前途は開けてこない。

過去を引きずって過去に執着すれば、今がなくなる。

未来はすぐに今になり、今は直ぐに過去になる。

過去にこだわると未来が見えない。

と、あります。何か自分に感ずる事はありませんか?

兄の見舞い。

兄が胃癌の手術をしたのですが術後の経過が思わしくなく、余命を宣告

されてしまいました。兄は81歳です。

今日、所沢まで見舞いに行ってきました。落ち込んでいたようですが、行

ってみるとやせ細ってはいましたが元気なので一安心しました。やっぱり

兄弟に会えるのを待っていたようで、かなり嬉しかったようでした。世話に

なった兄なので本当に心配です。又近いうちに会いに行こうと思っていま

す。兄弟の訪問は、本人にとってかなり嬉しく元気を取り戻すようです。

詩 「梅の実」

うめがとれた

きれいなみ まるいみ 

おおきいみ やせたみ

そばかすのみ

みんなちがうかお

にんげんみたいだな

もとをただせば みんなうめだ

釈迦の教え・「自業自得」

「自業自得」と言う言葉があります。あまり良い意味では使われていない

ようですが、良し悪し、どちらにも通じる言葉ではないでしょうか。

人間は、自分に起こる問題は全て自分に原因があり、自分で解決できな

い問題は起こらないと言います。

何か自分に問題が起こった場合は、冷静になってよく考えてみてください。

必ず自分に問題があったことに気付くはずです。もし自分で原因が分から

ず解決できない場合は、ご遠慮なくお問い合わせください。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

人は誰も幸せになるために生まれてきたのです。
自分や家族のいろいろなお悩みの相談を受けています。
汝、悩むことなかれ。どんな人でも悩みの無い人は居ません。
早く心と気持ちを軽くして、前を向いて生きて行きましょう。
多くの方が心と気持ちを軽くして幸せになっています。
どんなことでもご一報ください、無料で相談させて頂いています。