何故こんなにうつ病になってしまう人が多いのか?考えてことはありませ

んか。

うつ病は本当は病気ではないのです。通常私どもはは「贅沢病」と言って

います。

裕福な方が掛るのです。ギリギリの生活をしている人ははかからないので

す。

それは、悩んでいられない生活環境にあるからだと思います。今を働かな

くては生活ができないからです。

生活優先で悩んでなんかいられませんからね。

「うつ病」これは現代社会のひずみで起きる問題です。

親しい友人がいない。話し相手がいない。相談する人もいない。これは、

現代社会が利己主義社会だからです。他人はどうでもいい、自分が優先、

人の事なんかかまっていられない、などの風潮が蔓延っているせいです。

皆さん、親しい信頼できる友人を一人は作りましょう。そして友達をたくさん

作るようにしてください。

人々にとって理想の人生とは何でしょうか。

「道元」の言葉に 「舟のほかに我はなし」と言う言葉があります。

現代風に解釈しますと自分の人生を考えるときに、「生きている」という面

からだけ考えてはいけない。「生かされている」という面も忘れてはならな

い。それがないと傲慢不遜な人間で終わってしまう。

「生きている自分」と「生かされている自分」の二つの面から自分を捉え直

し、それでは自分はどう生きたいのか、一方で社会の為にどう役立ちたい

のかを考え、出来るだけその二つが融合できるように人生を歩んでいくの

が理想の人生と言えよう。    と言う事です。皆で理想の人生を歩みた

いものですね。

聞く耳を持つことは大変重要なことです。

聞く耳を持たないと人生が暗転します。

年上の人の話や、周囲の人のアドバイスには素直に耳を傾けて聞くことが

大切です。

そして自分なりに取り入れてゆけばいいのです。

話は真剣に聞くことが大切です。聞いたら実行することです。これで人生

好転するのです。

ある方が乳がんになりました。知人がいろいろと経験話をしアドバイスした

そうですが、一切話を受け付けなかったそうです。数か月後亡くなったそう

です。その知人はたいそう残念がっていました。

少しでも聞いてくれたらそして行動してくれていたらと悔しがっていました。

どちらかと言えば高学歴の人が聞く耳を持たない方が多いようです。何で

でしょうかね?

皆さんも「聞く耳を」持ってください。幸せになるために。

青春・・・・・・・・サムエル・ウルマン

青春とは人生のある期間を言うのではなく心の様相を言うのだ。逞しき意

志、優れた創造力、もゆる情熱、怯儒を却ける勇猛心、安易を振り捨てる

冒険心、こういう様相を青春と言うのだ。

年を重ねただけで人は老いない。理想を失うときに初めて老いがくる。歳

月は皮膚のしわを増すが、情熱を失う時に精神はしぼむ。

年は70であろうと、16であろうと、その胸中に抱き得るものは何か。

曰く、驚異への愛慕心。空にきらめく星晨、その輝きにも似たる事物や思

想に対する欽仰、事に処する剛毅な挑戦、小児の如く求めて止まぬ探究

心、人生への歓喜と興味。

 人は信念と共に若く  疑惑と共に老ゆる。

人は自信と共に若く  恐怖と共に老ゆる。

希望ある限り若く    失望と共に老い朽ちる。

大地より、神より、人より、美と喜悦、勇気と壮大、そして偉力の霊感を受

ける限り人の若さは失われない。

と書いています。老いて益々元気に生きたいものですね。

相談者の中には、自分が病気になったのは母親のせいにして恨んでいる

人がいます。

母親が切迫流産しそうになり、病院で子宮をクリップして持ちこたえて無事

生んでくれたのだそうです。

その処置が原因で病気になった、と自分よがりに思い込み母親を恨んで

いたというのです。

それだけ母親は苦労して我慢して無事に生んでくれたのです。ですから本

人はこの世に存在するのです。

もし流産していたら本人はこのよに存在しないわけです。それを思ったら

母親に感謝するだけで、恨むなんてとんでもないことです。 (-_-メ)

皆さんの中に親を恨んでいる人がいたら、それは大きな間違いです。両

親・ご先祖様がいたから自分はこの世に存在するのです。もしそういう人

がいたら即、改めてください。

すると、顔も柔和になり気持ちも落ち着いて、何事も上手くいくようになりま

すよ。(^_^)

この世に生きている事に精一杯感謝して生活してください。

感謝の気持ちを忘れると何事も上手くいきません。

「五十にして天命を知る」・・・・・・論語

子曰く、吾十五有にして学に志す。

三十にして立つ。四十にして惑わず。

五十にして天命を知る。六十にして耳順う。

七十にして心の欲する所に従えど、矩を踰えず。

「意訳」

孔子は言った。私は十五歳ころから学問を志した。三十にして、その

学問についての見識を確立した。

四十歳の頃では理が明らかになり、物事に惑うことがなくなった。

五十歳になって、天から与えられた使命を自覚した。

六十歳の頃は、何を聞いても分かるようになったし、差しさわりがなく

なった。

七十歳になっては、心の欲するままに行うことが、いつでも道徳の規

準に合って、道理に違うことがなくなった。

「五十にして惑わず」聞いたことがある言葉ですね。この言葉を見聞す

ると孔子の偉大さが伝わってきますね。我々もこう生きたいと思いま

せんか。

毎年のように悩んだり、苦しんだり、世をはかなんで自殺者が3万人以上

もいると言うニュースを見ます。この世の中に、せっかく生を受けて生まれ

てきたのに悲しいことであり罪なことです。

この世に存在するもので不必要・不要なものは何もありません。

人間をはじめとし、植物・動物・器具・道具など必要であるから存在するの

す。

器具や道具は壊れたり古くなって使われなくなってしまうまでは必要なも

のです。

自分は「この世の中で必要とされていない」などと思い詰めて自暴自棄に

なったり自殺したりすることは大きな間違いであり罪作りです。

人間はこの世に必要とされない場合は、母親にお願いして胎内に宿っても

無事に生まれてくることは出来ないのです。流産したりして生を受けられま

せん。

必要とされるから生まれてこられ現在も存在するのです。

その人、ものには個々にこの世に中での役割があるのです。特に人間は

個々の特徴があります。

自分に与えられた範囲の中で努力して生きてゆくことが大切なのです。今

現在置かれている環境の中で精一杯努力すれば必ず光が見えてきます。

いろいろとお悩みはあるでしょうが、何事も自分に合った問題しか起こりま

せん。そして自分で解決出来ない問題はないと言われています。

もう一度問題を振り返って再考してみてください。ほとんど自分の行動・言

動の結果であることに気が付くことでしょう。

私は死ぬ時のことを考えますと、年を取ってこの世で必要なくなった時(耐

用年数)が死ぬ時だと思っています。

極楽(しあわせ)と地獄(ふしあわせ)の岐かれ道。

   「幸福への道」              「不幸を自分で造る人」

人も自分も尊敬できる人。         心の暗い人、不愉快に暮らす

                          人。

常に反省し素直に改める人。       絶えず不満や愚痴の多い人。

何事も善意に解釈する人。         陰口が多く人の和を乱す人。

孝心深い人、恩に報いる人。        信仰心がなく自我の強い人。

親切で人の為によく尽くす人。       心が狭くすぐ腹を立てる人。

恥を知る人、偽りのない人。        利己的気侭自分本位の人。

生きがいを求め精進する人。        慾の強い人、自惚れの強い人。

夢と希望に笑顔で生きる人。        義理より権利を主張する人。

など、いろいろと書かれていますが、あなたはどちらの道を進みますか。

「いろは」とは物事の基礎、家の土台。あまり面白いところとは思えない。

何事につけ基礎訓練なんていうのは退屈です。地味で、しかし、奥が深い

のが厄介です。

でも、ここをすっぽかして、楽しいかっこいい応用編から入ろうとしても無理

です。

横着や焦りは禁物です。物事をきちんと修得するには、やっぱり「いろは」

が大切です。

急がば回れ。最初は足腰を鍛えて、かまえが出来る様になるまでは「いろ

は」を学ぶ。

その後やっと、醍醐味に近づける長い道が見えてきます。その道すがら、

いつでも忘れてならないものは「いろは」です。

修行の最後のやっとわかるのも「いろは」です。と言っています。

物事には順序と言うのがあります。順序を踏まないで何事かすると上手く

はゆきませんね。

やはり「いろは」でしょうか。

久し振りの日光東照宮です。

左甚五郎の作と言われる彫り物を撮ってきました。

何を言わんとしているのやら・・・・・・。

三猿

眠り猫

苔むした杉

見事な彫り物ですね。苔むした杉の根基、歴史を感じます。

 

苦は楽しみの種・・・・・・・徳川光圀

一、 苦は楽しみの種、楽は苦の種と知るべし。

一、 主人と親とは、無理なるものと思え、下人は足らぬものと知るべし。

    無理なるもの=理屈が通らないもの。

一、 子ほど親を思え、子なき者は身にたくらべる、ちかき手本と知るべ

    し。         身にたくらべる=自分の身を思う気持ちとくらべてみる。

一、 掟におじ怯じよ、火におじよ、分別なき者におじよ、恩を忘るる事な

    かれ。             怯(お)じよ=恐れなさい。

一、 慾と色と酒とをかたきと知るべし。」

一、 朝寝すべからず。話の長座すべからず。

一、 小なる事は分別せよ。大きなる事は驚くべからず。

一、 九分にたらず、十分はこぼるると知るべし。

一、 分別は堪忍にあるべしと知るべし。

光圀は恩を忘れるなという。まさにその通りで、日本人が他人を評価する

ときの最終的な基準は、能力があるかないかではなく、「恩知らず」である

か、それとも「恩に報いる心を持っているか」である。人間の値打ちがこの

二つで最終的に決まる。

いかに有能であっても、「恩知らず」となれば、人が遠のいていく。逆に

少々能力に劣っていても、恩を忘れなければ一目置いてくれる。

自分を生かそうと思えば恩を忘れない。このことは、光圀の言を待つまで

もなく、時代を超えて、日本人社会で生き抜く根本である。 と書かれてい

ます。  ・・・・反省します・・・・

勢い、使い尽くすべからず」と言う言葉があります。

誰でも勢いにのっている時は、調子に乗って突っ走る傾向があります。

そんな絶好調の時こそ細心の注意をし、行動を慎むようにという禅語で

す。

勢いにのっている時は、力まかせに普段の用心深さも忘れ、人の助言も

聞かなくなっているものです。

勢いあまって本来の目的以外にも鉾先を向ける。勢いあまってついてくる

人たちを見失う。

勢いにまかせていると、弱いものが見えなくなる。勢いが人を傷つけ、自

分の首を絞める言動に走らせる。だから、腹八分目でやめておく知恵が生

まれたと言われています。

歴史を振り返れば、勢いに陰りがさすのは敵側の要素ではなく、きまって

自分が原因。

怪我や病気もそのうちです。と書いてあります。 慢心するべからずです

ね。

先人の知恵は素晴らしいと思いませんか。

禅語集を読んでいる中の言葉を記載します。

「光陰如矢」:こういんやのごとし。

聞いた言葉ですね。禅語では、光と陰とは、太陽と月のこと。

矢を放ったごとく、目くるめく過ぎ去ってゆく毎日。

何万年たっても一日も後戻りすることはありません。ただ太陽は急ぐ様子

もなく、なにくわぬ顔で輝いています。また月も同じように音も立てず慌て

ず、美しい満ち欠けを見せてくれています。

こんな天体(宇宙)のリズムに波乗りのように乗ってしまいましょう。

自分の小さな考えの中で自転して、空回りした時間を過ごしてしまわない

ように。

一日一度は空を見上げて、天体のリズムを感じてみてください。

決して「急げ急げ」とは言っていないはずです。

と解説しています。

宇宙のリズムに合わせて、自分のリズムとした方が良い結果が生まれる

のではないでしょうか。だって人間は宇宙の生き物ですからね。

禅語を読んでいる時に、震災被害で困って悩んでいる方々に頑張れる言

葉としてこの1節を記載します。

「心頭滅却自涼」:しんとうめっきゃくすればひもまたおのずからすずし。

心が積極的になって無心に徹すると、火の中でさえ涼しく感じるという意味

です。

夢中で物事に没頭すると、暑さ寒さを忘れる、そんな経験はありませんか?

炎天下で人と待ち合わせをして相手が遅れてきたら、暑くて暑くてだんだ

ん腹が立ってきます。

しかし、同じ炎天下で、こんがり小麦色の健康な肌に焼こうと思ったら、太

陽の暑さが喜びに変わる。苦悩とは、こちらがどういう心で相対するかで

随分と違うものになるのです。

苦悩から逃げると、苦悩はいつまでも苦悩のままで存在します。

だから、苦しいことからはむしろ逃げないで立ち向かう。集中力と勇気が必

要ですが、いつまでも悩んでいるよりその方が楽ですよ。

さあ、クルッと後ろを振り向いて、追手と対面。

と言われています。

禅語を読んでいると「人生に近道なし」の言葉を見つけました。

平常心是道((へいじょうしんぜどう)

平常心とは、当たり前のことの積み重ねと言う意味です。道を極めるという

のは、特別なことを頭で考えてウルトラCを修得するという事ではない、と

言っています。

人生に近道はないとあきらめて、あたり前のことを大切に育む日々が平常

心です。

あたり前のことをずっと続けることが物事を極める極意のようですね。

震災で被害を受けた東北各地を「青空説法」を続けている瀬戸内寂聴さん

の映像を毎日テレビで見ています。90歳に手が届く年齢であそこまで元

気でいられるのに驚きです。

青空説法には数十人から場所によっては1500人もの聴衆が集まるよう

です。

皆さん震災で沈みがちな気持ちを、如何にして明るい気持ちに替えようか

と説法を聞きに来るのです。何時も沈着冷静に笑顔で本音で話される寂

聴さんの話に聞き入っています。

素晴らしいことではありませんか。その中で「笑顔が一番大事」と言ってお

られます。

困った顔は不幸が好きでどんどん不幸が寄ってくる、笑顔は必ずいつか

幸せが訪れると説いていました。困ったときは笑顔を忘れないことですと

言います。

本当は高名な住職の皆さんが現地を訪れて説法して頂きたいなと思います。

結局日本人が最後にすがるのは「釈迦の教え」仏法ですね。

私も少しでもお役にたてたらと思っています。

「人生の知恵」なる本にちょっと目を通したら次のような文章に出会いまし

た。

人が何らかの目的に向かって出発するとき、その拠り所となるのは、自分

自身の内部にしか見いだせない。私は何者であるか、と自らに問うことか

ら、人生のすべては始まる。

私とは何か?。何らかの事柄を慾している者である。慾している、とまで気

持ちが固まっていなくても、少なくとも何かを期待している者である。期待、

と言うほどには強くなくとも、何かを、いくぶんたりとも、好ましく思っている

者である。そうだ、それこそが自分自身である。

好ましいと思う方向へ動き出す、それが生命力なのである。

人間は、自分が嫌いであることを、外から上から命じられても、十分には

効果を上げることができない勝手者である。しかし、自分の内部からこみ

あげてくる意向に従うとき、おもいもよらぬ成果を生むことになるだろう。な

にかをしたい、何かになりたい、何かが欲しい、何かが好もしい、この気持

ちのうずきを自分で見届けることから、一人一人の人生が始まる。

その自分の内部の気持ちのうずきを、それを意慾と名付けよう。人間と

は、生きている者である。生きていることは、意慾を持っていることである。

自分の意慾を大切に育てる努力、それが人生である。自分の意慾に忠実

であること、それが素晴らしく生きることである。

人に会うとき、自分で相手を「嫌いだ」とか「いやだな」と思う気持ちで会うと

(怨憎会苦)その気持ちは必ず相手に伝わります。そして、相手も同じ気持

ちになってしまいます。

わだかまりや先入観や第一印象の良し悪しなどの気持ちを捨てて、ただ

普通に人に会う(男・女の区別なく)という気持ちが大切ではないかと思い

ます。

難しいことですが一度試してください。総てが上手くゆくこと間違いありま

せん?

マミーが10日間入院しました。おかげで主婦業を10日間しました。

しかし主婦業は大変ですね! 朝、電気がまのスイッチを入れ、洗濯機を

回し、お茶を沸かし食事の準備、ペットの餌・トイレ掃除・・・・・・

これを10日間しました。一人で朝ご飯が寂しいので、孫に来てもらって一

緒に朝食をしました。

今日、退院してきましたので安心して、どっと疲れが出ました。

主婦には感謝です。つくずく思いました。

あなたは、感謝してますか!

明日から9月です。台風が接近しそうですね。台風対策をしましょう。

猫のモモは今月で生後10か月になりました。

かなりやんちゃです。でも親子で仲良くやっています。

これを見て癒されてください。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

人は誰も幸せになるために生まれてきたのです。
自分や家族のいろいろなお悩みの相談を受けています。
汝、悩むことなかれ。どんな人でも悩みの無い人は居ません。
早く心と気持ちを軽くして、前を向いて生きて行きましょう。
多くの方が心と気持ちを軽くして幸せになっています。
どんなことでもご一報ください、無料で相談させて頂いています。