「人生哲学」を持つ

古今東西を通じて成功した人たちは、一貫した人生哲学を持っていました。それは因果論を信念として持っていたのです。

種を蒔けば転地の恵みを受けて芽が出、花が咲き、実がなる。この自然の原因と結果の因果関係が自然のすべてのものに当てはまることを、成功者たちは体験とさまざまな教えの中から知っていたのです。

「成功した人はすべて、自分は因果論者であることを認めている」ラルフ・エマーソン

「報徳」は尊徳の思いと行動を言葉に表したもので、報徳の思想はすべての人、すべての物を生かす意味で、人生の成功哲学と言える。

人は百年も現役で生きることは出来ません。命の限界を知って努力することが、強運を開く人間の成功法則となるのです。

自分をさらに進展させるにはどうすればよいでしょうか?

全てに言える事は、常に自分の仕事や行動に疑問を持つことではないでしょうか。

疑問を持つことにより創意工夫が生まれてより良い方法が見つけられるからです。

人と同じ事やマニアル通りの事だけに捕らわれていると進展はありません。

常によりよい方法を考えながら行動することが自分のモチベーションを高める方法

ではないでしょうか。

自分に満足することなく前向きな創意工夫が大切です。

*ちょいといい話

「報恩、報徳の精神が幸福の原点」 二宮尊徳

恩を受けても報(むくい)いないことが多いだろう。徳を受けても報じないことが少なくないだろう。

徳に報いることを知らない者は、将来の繁栄のみを願って、その根本を培(つちかう)わないから、自然に幸福を失うことになる。

「人間は考える葦である」  パスカル

人間は学び、考え、悟ることによって、より明確に生きる意味を知り、生かされている喜びと感謝の心が繁栄の道につながる。

子供への愛、父母への恩を忘れたとき、幸せから遠ざかることを知ってください。

*戒(いまし)めの言葉

「いつまでもあると思うな親と金、無いと思うな運と災難」

人は生きている間、自分の死をあまり考えないものですが、どなたも聞いたことがある

言葉ではないでしょうか。自分を戒める言葉として心に納めてください。

二宮尊徳の名言

*心が正しく平らでなければ得た富も逃げていく

事を興す創業は難しく守ることは易しいが、充分な身代を平らに維持することも、難しいことである。

創業も大変ですが、拡大した事業を守り維持するのは大変なことです。

創業時は経営者も従業員も一致団結して目標に向かって邁進しますが、目標を満たすと、それを維持していくのが難しいのです。自制心が崩れ慢心し、遊惰や怠慢に流れるとガタガタと崩れ、止めるのは難しく破滅はあっという間です。

永年繁栄した企業が驚くような不祥事で社会的信用を失うというような事になるのを見聞きすると、「満ちた身代を平穏に維持することも、やはり難しい仕事だ」ということです。

事業規模の大小にかかわらず何時も平らに維持してゆくことは難しいです。

つくづく感じています。

二宮尊徳の名言

「貧富の違いは分度を守るか失うかによる」

分度とは自分のおかれている状況、器のことです。個人的のも企業的にも成功するには、基本となる哲学、思想が堅固でなければならないと言っています。分度、いわゆる収支のバランス、計画経済のことで、予算以上の使い方をすることを財を散らすと指摘している。

節度ある経済活動と冷静な判断、決断力、誠実な実行により成功するといいます。

苦しいときに他から借財して予算に入れるようだと貧に陥る。

苦しみが将来の喜びに結びついたとき、信頼と発展が報酬となって返ってくる。

甘く安易な道を選ばず、自他共に厳しい決断が、愛情と信頼の基盤になることを心に留めておくべきである。と諭しています。

普段の生活の中でも借金をしてその場をしのぐことはありますが、結局借金の返済に苦慮してなかなか良い方向へは進めないのが現状です。計画をしっかり持って、苦しくても耐えて他から借り入れをせず乗り切ることを心がけなくてはいけないようです。

二宮尊徳の名言 「蒔かぬ種は生えぬ」

「蒔かぬ種は生えぬ」の道理は、昔からよく言われたことで、富と幸福が欲しいなら、まず土地を耕し、種を蒔き、草取りをする勤労の積み重ねが必要です。と言っています。

賢者は、この道理をよく知っていて、勤労努力して良い因果関係をつくるのです。働いた原因で、その後の実りと豊かな暮らしが結果として出るのです。

これは現代の事柄にも当てはまることで、努力なしでは良い結果は生まれないのです。

愚かな人は働かず、努めず、自分の不利、不運を嘆き、富める人をうらやむばかりで、不幸の原因が自分にありことを知らないのです。

尊徳は人の幸、不幸、運、不運を、一粒の種を蒔き、土を耕す努力から始まると教えました。「積小為大」は尊徳哲学の原点といえます。要は工夫努力が大切ですということですね。

「自助努力する者」を神は助けるのです。努力をしない者はただ見守るだけで、神は助けないことを知るべきです。

上杉鷹山の残した言葉

「為せば成る、為さねば成らぬ何ごとも 成らぬは人の為さぬなりけり」。

尊徳は自然と貧困の中で人間理解を深めていきました。人の幸福は、まず勤労に励み、貧困から脱却することからはじまる。積み上げた富貴を守るためには、人に譲り、社会に譲るために計画し実践しなければならないと人々に教えた。「推譲」により人を幸福にすることで自分も幸福になるという。釈迦の教えでは「布施行」に当てはまります。

今、金があっても働かずに怠けていたら、貧に陥る。貧しくても働き、倹約すれば、必ず後に富に至る。と農民を励ましたといいます。

お金は「お足」といいますが、あっという間に底を尽きます。金があっても働かないとすぐに無くなることは皆さんご存知のとおりですね。

ちょいといい話  成功への道。

現代に通じる二宮尊徳の教え「積小為大」

小を積んで大と為すのが成功の原点(積小為大のすすめ)

千里の道も一歩から、一株ずつの田植があって豊穣の収穫がある。

すべては一から始まり、その積み重ねで大きな事業が達成できる。

コツコツと地道に小事を続けることが成功の鍵であり道であると思います。

*小事を嫌って大事を望む者に成功はない。

世間の人は、とかく小事を嫌って大事を望むけれども、本来、大は小を積んだものです。

だから、小を積んで大をなす他に方法はない。

現代の若者の風潮として、真面目にコツコツ努力することを卑下するようなところがありますが、一歩一歩の努力は、今でも成功の原理として存在する。

*小を積む努力なしに夢の実現はない。

大事を成し遂げようと思う者は、まず小さな事を怠らず努めるがよい。

それは、小事を積んで大となるからである。

普通、世間の人は何か事をしようとして、しなければならない小事をせず、いきなり難いことに挑戦して頭を悩ましているが、出来やすい事をしない。それで大きな事も出来ない。

大は小を積んで、大となることを知らないからである。

*早起きが富と成功への第一歩。

「早起きは三文の得」とは昔からの言葉ですが、人生を無為に過す事なく、勤勉さが富に至る道であると、古人は知っていたのです。とくに早朝の仕事は、自然の理にかない、能率はバツグンです。

現代の責任ある立場の人が、ときに過ちを犯すのは才知に頼り、この基本的な因果の法則、無駄を省き小を積み重ねる努力をするという原則を忘れるからです。個人が失敗しても影響は少ないでしょうが、国を動かす政治家や経営者の誤算は多くの国民や社員、家族の不幸を招き、企業が大きければ社会問題にまで発展する。それが混迷の元になるのです。

現代の世相がそうではないでしょうか?と思います。

*金銭が多すぎるのは不便の至り。

世の人はみんな金銭の少ないのを嫌って、ひたすら多いことを願うけれども、もし金銭が各人の願いどおりに多かったとしたら、砂や石と何の相違もない。そんなに金銭が多かったら、わらじ一足の代金も、一夜の宿泊代も札束一背負いいうことになる。

何不自由なく育った子供達は、お金は知恵と勤労で稼がねばならないものとは思ってはいません。親を脅せば、自分は働かなくても金が出てくるとさえ思っています。

自立心と忍耐力が育っていないのです。この間違いが殺人、強盗、麻薬、売春などの犯罪の芽となり、不幸の種が蒔かれるのです。善悪の判断を教えず、過保護と金品の与えすぎが、子供の欲望をふくらませ犯罪を生むのです。同感・同感

*働いて後に楽しみを得るのが人生の基本。

最近の風潮に、真面目にコツコツ働く者をバカにする様子が見えるのは良くないことです。

アリとキリギリスはよく話題にされます。好きなことをして富を得られるのは結構ですが、遊んで富が得られるようほど人生は甘くありません。

アーティストや作家など一見華やかで好きな仕事をしているように見えても、個性的な仕事であればあるほど、人に知られぬ努力と苦労の積み重ねがあることを知るべきでしょう。

「働いた後富を得る」という人間の基本的な考え方は、人生を成功させる意味で、昔も今も変わりません。人生も仕事も、決して甘いものではないこと、しかし、努力は必ず実ることも、若い人に知って貰いたいのです。

二宮尊徳の思想と哲学・言葉。

尊徳は、「一家を廃して万家を興す」を自ら実践し、家屋敷、田畑をすべて売って桜町陣屋(栃木県芳賀町)に家族と共に移り住み、至誠を貫き、忍耐のうえに「勤労・分度・推譲」を生きる道として「一円融合」「万象特性」「報徳」の思想を富と幸福の哲学として人々に教え伝えたと言います。

尊徳の言葉には日本人の道徳力を高める知恵が溢れている。といいます。

尊徳を知るキーワード。

「報徳」:尊徳の思想全般を報徳という。すべてのものの徳性(価値や特性)を認め
     生かす(報いる)こと。

「心田開発」:何事を成し遂げるにも、まず本人のやる気を起こさせることが第一で
        あり、それによって一人ひとりが自立できる基盤を育成することができ
        る。

「至誠」:至誠とは真心であり、これこそが尊徳の生き方や思想のすべてを貫いてい
      る精神。

「推譲」:分度を守ることにより余財を生み出し、それを家族や子孫のために蓄えた
     り(自譲)、広く社会のためや未来のために譲る(他譲)。そうすることにより
     幸福な社会が実現できる。

「勤労」:人は自分に備わっている徳を最大限に発揮して働くことにより、生きる糧を
     得て 生きていくことができる。又、そうして働くことにより生きる知恵を磨き、
     自己を向上させることができる。

「積小為大」:小さな努力の積み重ねが、やがて大きな収穫や発展に結びつく。
     小事を疎かにして、大事を為す事はできない。

「一円融合」:すべてのものは相互に働き合い、一体となってよい結果を生み出す。

「仕法」:尊徳が考え出した農村復興や財政立て直しのためのやり方。

     現代社会にも通用する基本的な生き方を説いているのですね。

二宮尊徳は優れた哲学者であり経済学者であったのです。

栃木県現日光市・芳賀町(廃村再建)・福島県相馬市などの財政再建を果たした事は初めて知りましたが凄いことです。

現在の日本にも、こんな人が現れたら救世主となること間違いないでしょうし、現れて欲しいものです。

幼くして両親が田畑を洪水で無くし、その後相次いで両親を亡くし一家離散の艱難辛苦を小さいながらも努力して乗越えて田畑を増やし成功して行く過程は目を見張るものがあります。 

「今なぜ二宮尊徳か」と言うことが分ります。

ちょいといい話   心に響く二宮尊徳の名言 

今、石川佐智子著の世界に誇る日本の道徳力 心に響く 二宮尊徳90の名言を読んでいます。日本人の心に自信と誇りの種をまいた二宮尊徳の言葉が現代に蘇る、経済とモラルを調和させる実践哲学。これこそが道義大国日本への知恵の宝庫。とあります。

この著を紐解き徐々にご紹介いたします。

今なぜ二宮尊徳か  

道義大国への道は何所にあるのか?

長年、学校教育に関わってきた作者は、子供達の心が荒れ、暴力や破壊、いじめ、不登校が増加し、学力低下も懸念される現状は、何より教育から日本精神が失われてきたことの結果だと思われます。秩序と礼節を教えるはずの教師が、父母や国民が知らぬ間に、愛と調和を尊重する人間性を否定し、「奪い合い」や「いがみあい」などの特殊な生活指導を行い、我欲の争いの心を植えつけていたのです。

この実体に気付く人は少ないでしょうが、そうした教育が日本人から勤勉や誠実さを奪い、不信と我欲に固めていったことを見逃すことは出来ません。

経済繁栄を享受しながらも社会が苦悩している最大の原因は、日本人の道徳力が低下していることにあるのだと思います。モラルを失いエコノミックアニマルと欧米から蔑視された日本が、道義大国として世界から信頼される道はどこにあるのでしょうか。

現代人の苦悩は、無責任な政治と教育から生まれたもので、真に愛情と責任のある指導者が必要なのです。いま、二宮尊徳が注目されている理由がそこにあるのです。 と、序盤から私と同感の強いメッセージを披露された著者に感銘いたしました。

教育は1日にしてならず、長期にわたり計画的に行はなければなりません、いま行なわれている政治の改革や教育で日本の将来は果たしてどうなるのでしょう。改革の失敗がいま国民を困らせ日本をダメにしている現状をあなたはどう思いますか。

ちょいといい話

*心を育め

新聞の「話の肖像画」にありました聖路加国際病院理事長 日野原重明さんの言葉をそのまま記します。

----世界は「100年に一度」という不況に苦しんでいます

日野原:しばらくは耐えることが必要ですね。これまでの過度なぜいたくを改め、もっと質素に生きることです。そして「自分のために」ではなく、他人のために動く、困っている人にもっと分ける。お互いに耐えて待つ以外にありません。現代人は、とかく「自己中心」に物事をとらえすぎです。

例えば、「65歳になったら介護保険で世話になる権利がある」という人がいますが、もっと自立して、いよいよになったら甘んじて受けるぐらいの心構えが必要ではないでしょうか。権利、権利とばかり言うのではなく、もっと謙虚な気持になることです。

-----「お金がすべて」という風潮も気になります。

日野原:愛あれば貧しくてもいいんです。戦争中、食べ物がなかった時代はおにぎり一つ砂糖一つでどれだけ感激したことか。豊かになれば感性が鈍ります。昔の日本人は、貧しいけれど、みんな感謝の気持を持っていました。

-----今の子供たちの周りにはモノがあふれかえっています。

日野原:分け与えると言う気持ちがありません。「余ったら捨ててしまえ」です。

世界では10億の子供達が飢えで苦しんでいるのにですよ。日本の子供は欲しいものは買ってもらう、お小遣いももらう、甘やかされる・・・。

そこでアイデアがあるのですが、日本の若者は就職する前に1年間、アフリカや難民キャンプへ行き、モノのない所での生活をしてみたらどうでしょう。そうすれば世界のことが少しは分ります。日本人は良い学校に入り、一流会社に就職し、「安定」することばかり考えていますが、イージーなことではなく、もっといろんな体験をしないとだめですね。

と言っています。

もう一度私たちも考え直さなければいけないのでしょうね。「安定」を求めるにしても現在の世の中ではとても無理のようです。政治の将来を見据えない欧米のまねばかりの「改革」を推し進めた結果が日本を国民をダメにしているのです。政治と教育の大切さをもう一度一人一人が真剣に考える時代が来ているように思います。

禅の言葉は今回で一応終了します。是非この記事をご記憶下さい。

人間は死後、霊界では生前の地位・名誉・金銭・知識などは何の役にも立たない

そうです。ただ評価されるのは世の為人のためにどれだけ貢献したかが問題だそ

うです。要は人生、道義的に自利利他の精神で生きることに尽きるのです。

それでは記事を記載します。

ちょいといい話  禅の言葉

*「大死一番 絶後再蘇」 (たいしいちばん ぜつご ふたたびよみがえる)

「大死」人間にとって究極、極限状態それが大いなる死「大死」です。

死、人生の終りを感じた時、これまでの虚飾(地位・名誉・金銭・知識など)は、一

切役に立ちません。理屈も入り込むすきがありません。本来の人間性に戻るしかないのです。

仏教は死んだ人のための宗教ではありません。それが証拠に、お経の原点をたどればお経とは元来、今現実に生きている人間が、悩みを相談してそれに答えるお釈迦様の会話集だからです。  南無南無

次回からは二宮尊徳の言葉を記載します。今なぜ二宮尊徳か・・乞うご期待

新聞の「次代への名言」のコラムに、かの有名な女優高峰秀子さんの名言が

ありましたので紹介します。

「人間は一人では生きることも死ぬこともできない哀れな動物、と私は思う」

と言うことばです。

人は誰もが自然界の全てのものに支えられ生かされているのです。一人では

生きることは出来ないのです。何事にも感謝をしながら生きることが大切です。

お彼岸の「彼岸」は、「到彼岸」という言葉に由来します。

「到彼岸」とは、サンスクリット語の「パーラミター」(漢字で「波羅蜜))を漢訳した

もので、「到彼岸」の彼岸は、迷いのない悟りの境地を意味します。彼岸に対して、私たちが生きている煩悩に満ちた俗世間が此岸。こちら側(此岸)の私たちが、あちら側(彼岸)に到るための仏道修行を「到彼岸」といいます。

やがて、悟りの世界である彼岸を、死後の安らかな世界である浄土と捉えるようになり、現在のように亡くなったご先祖様に想いを馳せる「お彼岸」が定着していったようです。

彼岸会は春分の日、秋分の日を中日(ちゅうにち)として、前後三日ずつ一週間にわたり行われる法会ですが、この時期に彼岸会を行なう理由は、太陽の動きと関係があります。

浄土教では、極楽浄土は西の方角にあると考えます。浄土経典の『観無量寿経』には、極楽浄土を想像するための十六の方法が説かれていますが、その一つとして、西に沈む太陽を見て極楽浄土を想う「日想観」という方法があるほど。ここから太陽が真西に沈む春分・秋分の日に、西方浄土を想像し、ご先祖様を供養する習慣が生まれました。

と言うことだそうです。

ちょいといい話 -7- 禅の言葉

*「一切唯心造」 (いっさいゆいしんぞう) すべては心が造るもの。

「一切は唯(ただ)心の造るものなり」

地獄・極楽もしょせん心の中です。善悪、美醜、有無の心が造り出したものです。

そういう相対する所から争いや、悩み、迷い、苦しみが生まれるのです。

一切は心が造るとわかると、自然の中に対立は消え、心はそのままに見るという状態が出来ます。そこを仏様の心というのです。

心がけ次第で幸も不幸にもなるのですね。どうせ短い一生なら幸せに生きたいものです。

顔は心の鏡です。柔和でやさしい笑顔で日々を送りましょう。

ちょいといい話 -5- 禅の言葉

「放下著」 (ほうげじゃく) 捨ててこそ自由自在が得られる。


「放下」とは、放り出す、捨てるの意味。「著」は命令を強める置字です。「捨ててし まえ」ということです。

執着から生まれてくる煩悩は、つきることはありません。後から後から欲は泉の如く

わきだします。そのものが得られれば、一応満足してもそれを保持したことによって

再び悩まされたり、又新たな物を求めようとする。だったら、いっそ全てを捨ててし

まう。無に徹する。すると、そこにとらわれのない境地を得ることが出来る、そして

無ということも捨て去るところまで行きなさいと言っているのです。

難しく奥深い話ですね。

ちょいといい話 -4-  禅の言葉

*「報恩」

「恩」とは原因を知ることです。今ある自分を知る心。因の心と書きます。

*「供養」

「供養」とは、人と共に養うという言葉です。法要に人が集まるのはここなのです。

「供」という字は人と共にと書きます。文字を善く見ると面白いですね。

ちょいといい話  禅の言葉より。

「一期一会」これは茶道からの言葉です。

一度の出会いに命がけで臨む。と解釈します。

井伊直弼の「茶湯一会集」にそもそも茶の交会(こうえ)は、一期一会といいて、たと

えば幾たびも同じ主客と交会するも、今日の会に再びかえらざることを思えば、実に

われ一世一度の会なり。とあります。

たとえば今後、同じ人と幾度もお会いすることがあったとしても、今日この瞬間の出

会いはもう二度とこない。それこそ命がけでこの一回の出会いに望まなければならない。と言うことです。人との出会いは真剣に大切にしましょう。

「会者定離」(えしゃじょうり)・・・・出会う者には必ず別れがある。だからこそ人との
        出会いを大切にしましょうということのようです。

「苦」からの脱却

人間はこの世に生を受けたときから「苦」が始まります。

「生・老・病・死」これが「四苦」です。そして「愛別離苦」「怨憎会苦」「求不得苦」「五蘊盛苦」これで八苦です。総じて「四苦八苦」と言われています。

そして自分の「苦」の原因はすべて自分の「心」にあると釈迦は教えています。

自分に与えられた「苦」を取り除くには、自分の心を宇宙の真理に照らし合わせてみて間違った考えをしていないかを確認してみる事です。もし間違っていたら懺悔して改めることで人生が変わります。

自分の考えや行動に執着しているとさまざまな問題や病気を引き起こすのです。

自分に覚えがない事でも、いま起こっている問題の原因を作っているのです。

    それが因縁なのです。

「一切の業障界は皆妄想より生ず。若し懺悔せんと欲せば端座して実相を思え、衆罪は霜露の如し。慧日能く消除す」と「懺悔経」に書かれています。「実相、つまり見えない因縁を観じて懺悔すれば、その罪は朝日に当った霜や露のようにみるみる溶けて無くなってしまうものだ」ということです。

人間の病気や、その人の抱えている問題は、すべてその人の心の現われなのです。

ご先祖様や両親、自分を支えてくれる周囲の人たちに感謝の心で接することが大切です。

人間は宇宙の真理によってこの世に生かされているのです。

自分の心を宇宙の真理、自然の法則に照らし合わせるには仏法(釈迦の教え)に触れてみる事です。一番身近にある仏法は「般若心経」でしょう。人間は誰にでも仏性があるのです。

262文字の中に本当の人間としての生き方(宇宙の真理)が説かれています。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

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