仏は常に自分と共にあるのだと信じて生きる
如来寿量品十六最終回
法華経では、「自ら身命を惜しまず 時に我及び衆僧 俱に霊鷲山に出ず」と説かれている。自分の身命を惜しむことなく、日夜、心配してくれている。仏の慈悲は実にありがたいものなのだ。それなのに。儲けるだけ儲けて、他人の繁栄を喜ばず、自分だけの幸せを求め、その金銭や地位によっているのだと思ってしまう人々が、あまりにも多くなりすぎている。周りの人々を不幸におとしいれてまで儲けるのは、よいことではない。老人をだまし、土地を奪い、それを売りとばして、現金をにぎり、姿をくらましてしまうような人々が、あちらこちらに出てきている。そんなことをしたら、永遠の命はおろか、明日の生命さえも断たれてしまう。人は誰でも、生命が続くことを望んでいる。死後もあの世へ渡って、極楽浄土で平安に永遠の生命を楽しみたいと思っている。そのために、儲けるだけ儲けて、豪邸を建てても、それは、むしろ逆効果なのである。
まわりの人々の幸せは、仏法を信じさせることだととらえ、そのために「自ら身命を惜しまず」に努力していくことが、永遠の生命を生きることになるのだと知らなくてはならない。