方便力をもって説法を工夫
我常に衆生の 道を行ぜざるを知って 度すべき所に随(したが)って 為に種々の法を説く
永遠に尽きることのない無量の生命力をもって、釈尊は苦しみの大海に沈んでいこうとする人々を救い上げつづける。いくら「仏の知恵」を説いても、なかなか理解できないのが衆生だ。衆生は、三毒におかされて、救いがたい。まさに煩悩のかたまりなのだ。どのようにすれば、三毒にどっぷりと首までつかってしまっている大衆の一人一人を、自分の方から進んで悟りの境地にむかわせることができるかを、考えつづけている。大衆は、そのあやまった生き方にきがつかない。それを、衆生自身の方から自覚させる工夫が大変なのだ。
釈尊は、因縁や譬喩や言辞をもって説く方法で、「度すべき所に随って」方便力をもって救いとってゆくのである。