古今無二路ここんにろなし

賢者の行くみち

やり方は違っても賢者たちの行く道は、今も昔もひとつだと禅語は言っています。
今、目の前にある自分の責任を気を散らさずに黙々と果たして行くという道。
親が偉いから、環境が良かったから、親戚が有力者だから賢者になるわけではありません。ノーベル賞もピューリツアー賞も、古今無二路の延長線上にあるようです。町工場で親の手伝いをしながら仕事を覚え、油まみれになりながらも世界にただ一つの精密部品を作った社長のコメントにも、重みと深さがありました。

 

海神知貴不知価(かいじんたったときことをしってあたいをしらず)
 価値あるものは仕舞こまない    禅林類聚

海の神は、海に存在するものをすべて知識として知っているだろうけれど、その価値を知らないのではないか、という言葉です。
知識をふりかざす人を見て、本当に価値をわかってしゃべっているのかしら、と思うことはしばしばあります。
あなたは、自分が持っている力を知っていますね。思いやりの心や雲行きを変える力や勇気を持っている。その力は、しまったままですか。

渓邊掃葉夕陽僧(けいへんそうようすせきようのそう)
周囲に振り回されず

夕日の差す川辺で、一人静かに落ち葉を掃く老僧。
この風景が私たちに教えてくれるのは、無心で静寂な心境。
たとえば、あなたに日課があったとしましょう。朝、庭を掃くという日課。
前日がパーテイでどんちゃん騒ぎ、二日酔いだから朝の掃除はパス。とんでもない。ただ黙々と無心で庭を掃くことより大切な事はないのです。どんなに偉い人に誘われたからと言ったって、お家の一大事と言ったって、庭を掃くことより大切かどうか。こんな事が、あなたの周囲に振り回されていないかどうかのバロメータになるのです。

 

 

鏡分金殿燭(かがみはきんでんのしょくをわかつ)
惑わされず、勘違いせず。

「鏡」は自分が映すものに惑わされない。
どんなに豪華な宮殿の中にいても、絢爛に輝く蝋燭(ろうそく)に囲まれていても、「鏡」は自分を勘違いすることなく、無心でその蝋燭を映し出します。
輝いているのは自分でなく、蝋燭であるということを知っているのです。そんな「鏡」のようであれ衰という言葉です。
人によっては対応を変える人は、はたから見ても嫌なものです。「鏡」の本文はありのまま映し出すこと。どんなに華麗でも、どんなに貧弱でも、「鏡」はただ無心で態度を変えず、映った相手を自分と見間違えることもありません。栄枯静衰する世の中を共に生きながら、惑うことなく現実を、本質だけを静かに映し出すのです。

 

 

 

結果自然成(けっかじねんになる)
じっと待てますか

やれるだけのことを精一杯やったら、あとは自然に果実が実るのを待っていればいいのです。実が熟すのをじっと待てないのは、それまでの精一杯が足りなかったからかもしれません。土も耕さず、種も蒔かず、水もやらずに「芽が出ない」はないでしょう。練習もせずコーチの言葉も聞かないで「なんで金メダルを取れないの?」なんて悩んでいませんか?
結果は自然に成るもの。金メダルが取れなかったのもまた、自然の結果だったのです。やるだけやったら思い悩むことなし。この気持ちのよさは格別です。

 

 

 

 

山僧活計茶三畝 漁夫生涯竹一竿

さんそうがかっけいちゃさんぼ  ぎょふのしょがいたけいっかん

「漁夫生涯竹一竿」これさえあれば生きていけるというモノ。
この禅語では、漁夫は生計を立てるのに釣竿が一本だけあればいいと言っています。あなたにとって「これさえあればいい」というのは何でしょう。ちなみにこの言葉と対になっているのは「三僧活計茶三畝」。お坊さんは、小さな茶畑があればそれで暮らしていけるというわけです。肩書きとか華美な袈裟や高価な道具は、本来無用。
生計を立てる最低限を知ったら、物欲に惑わされず、余計な財産を持たずに自由の境地でのびのびと生きていけそうです。
ぜひ、あなたにとっての「釣り竿」をみつけて。

 

随處作主(ずいしょにしゅとなる)

自分からすすんで

「随処作主」とは、どんな場所でもどんな時でも、いつでも主であれということ。片足を突っ込むのではなく、身体の軸ごと移動して、ものごとに全体重を投入する姿勢です。いい時ばかりではなく、悪い時もどこでも主人公でいてください。

騎牛求牛うしにのってうしをもとむ)
求めるものはあなたの手にある

誰ですか?牛に乗っていながら牛に乗りたいという人は。
誰ですか?給料が良くて、社員のレベルが高くて、自分の能力を正しく評価してくれて、将来有望な会社に転職したいと探している人は・・・・。それは今勤めている会社じゃないですか? 誰ですか?美人に生まれたかったといつも嘆いている人は・・・・。自分の素肌と笑顔が美しいことに気づいていませんね。
求めるものは、外でなく内にある。自分の牛に、もう一度愛情を注ぐと思い出せます。いい牛だったこと、いい牛に乗っていたこと。

 

以心伝心(いしんでんしん)

令和7年7月12日(土)大安 晴れ曇り 九紫火星中宮日 みづのえ うま

今日は過ごし易かったです。昨日、預かったトマトの木が、肥料不足で葉の色が良くないので連絡しました。電話が終わらないうちに奥様が肥料を持参しました。早速肥料を上げました。奥様は、トマトのなんであるかを理解していません。
今朝も鉢植えに水を上げました。
何時になったら膝を就くことが出来るのでしょうか?お医者さんは一生お座りやしゃがむ事は出来ないと言っていますが、リハビリ運動をして必ず正常になれるよう頑張ります。(>_<)
このまま、涼しくなってくれると嬉しいです。

 

 

雲収山岳青(くもおさまってさんがくあおし)
自分がはっきり見えてくる

禅語は「あなたはあなたらしく、そのままでいい」と教えてくれます。「求めるものはすでにその手のなかにある」ともいう。おかしい。そんなに簡単なわけはない。私が本当に求めているのは何だったのかしら。これまた雲がかかって求めるものが何だか見えない。雲が切れて青々とした山が現れるように「私」の本来の姿をクッキリ見たいものです。

 

 

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あかおぎ ひろし

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