日暮れて道遠しが意味するもの

「化城喩品」で幻の城を目指した欲の皮の突っ張った人々のキャラバン隊、現代人の喩え話です。「日暮れて道遠し」ですが、絶望感にひしがれて、途中で止めてはなりません。勇猛心を奮い起さねば嘘なのです。疲れた隊員を励ます導師の言葉がまたいい。「汝等よ、いざや、宝所は近きにあり」宝所が「さとり」を示すことは、すぐにわかるでしょう。
現世利益を求める信心は、あくまで第一段階、さて現代人を宝所に導くには、やはり現代的発想の「現世利益」という方便の「幻の城」が必要のようです。「現世利益」は、正しくは「この現在の世で受ける仏・菩薩の恵み」のことで、法華経では、「現世安穏 後生善処」(現世では安穏の生活をし、死後には善い世界に生まれる)と説きます。
ところが、現在の現世利益の通年は、この世で頂く仏・菩薩の恵みという本来の現世利益とニュアンスと異にして、いわば物質的なものを中心として考える、きわめて即物的な内容となっています。家内安全・商売繁盛・縁談成立・病気快癒から火難盗難一切の悪事を蒙らないように、受験合格はもちろん、いま買った宝くじの当選祈願など、数え上げたらきりがありません。しかし、それがいけないというのではありません。ただそれが適えられても、それは法華経の示す「宝所」とは掛け離れた、はかない”幻の城”にすぎない事実を胸中に覚えておいてほしいと願うのです。
現代発想の即物的現世利益を目標とするのは、自分中心の利益の満足だけを望むものばかりです。厳しく考えてみようではありませんか。自分だけの幸せを願う現代の現世利益は、小乗的信仰です。しかし、小乗的な現世利益をいたずらに低級視してはなりません。このキャラバンの隊長のように、小乗的現世利益が適えられても、それは”幻の城”だからそこで満足をしてはならないと、自分にも言い聞かせ、他のも教えることです。

 

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