人間界とは、耐えしのばねばならない世界
令和6年12月2日
娑婆(しゃば)は梵語でサハーの音写で、私たちが現に住んで生きている地球上のこの世界です。ここに住む人間は、内には無数の煩悩を抱いて苦しみ、外には風雨や寒暑の災害を受けてな苦しまなければなりません。そこで、娑婆が「忍土・忍界(耐えねばならない所)」と訳されます。私たちの住むこの世界は、確かに苦難に満ちているから、ここで生きていくには「忍耐」が欠かせません。
「忍」とは、ありのままを確認し、それに徹すること。 しかし、ただ苦しさや怒りやつらさを、じっと我慢するだけが「忍」ではありません。忍は「認」とと同じだとするのが大乗の思想で、忍を「認める作用」としています。「確認」というように、認めて確かに知り、その時点で必要な行動をするのが、認であり忍です。
忍は、自分の置かれている時点を確認することですから、他と比較しないときに生じる英知であるとも言えます。自分が病気の時、自分の健康時や他の達者な人と思い比べると、病気がさらに苦になります。他と比べずに、自分の病気を確認し徹すると、健康時には得られない生き方や考え方を病が教えてくれて、知らず知らず病から英知が生まれます。それを「娑婆即寂光土」(しゃばそくじゃっこうど)と言います。
「娑婆すなわち寂光土」とは、苦難に満ちたこの娑婆世界がそのまま、この上ない寂光の浄土になるのだということです。寂は、真理のしずかさを、光は仏の知恵が照らすのを指します。
忍土とは、忍ばなければ生きていけない場という考え方から、事実を確認することによって、きわめて楽しく生きていける世界という考え方に変わってゆけます。
言い換えると、辛抱しなければならないという受け身から、辛抱できるように人世の仕組みができている事実を、自分で発見する眼が開けてくる、ということになります。