人間の苦悩は、どのようにして生じるのか2
人間の年齢の計算方法も、母の胎内から社会へ出た日から数える西洋式と、出産前の母の胎内生存期を一年と算定する東洋的発想法がありますが、私は十二因縁の上から考えて、後者の東洋的年齢算定方法のほうが妥当だと思います。
かくて私たちは、この世に生まれ出たものの、まだ火の熱さも水の冷たさも知りません。火や水に触れて、はじめて寒熱の意味を知るのが「触」(そく)です。触によって暖冷や苦楽を覚える感覚を「受」(じゅ)と言います。感覚が働くようになると、好き嫌いの心も成長し、やがては好きなものに執着するようになります。それが「愛」です。一度、愛の情が起こると、それを自分の所有にしたいと思う、それが「取」(しゅ)です。
しかし、この欲望があるからこそ、私たちは生存し存在できる道理です。それを「有」(う)と言います。有は存在の意味です。私たちが、いま・ここに有るというのは「生」きているからです。しかし、生あるものは、次第に古びて、やがて滅んでしまわないものはありません。私たちは「老・死」する存在です。(病は老に含まれる)
以上のように、無明があるから行、行があるから識というように、前者が因となり縁を借りて果を生じます。さらにこの果が、今度は因となって同じようなコースで次の現象を生じます。このかかわり合いを順次追求して、十二項の系列とするのが十二因縁です。
人間の苦悩の因は、無明にあり、その結果が死苦となります。逆に「老・死」の苦の原因はどこにあるのか、それは生きているからです。