仏法は久遠から
仏法は釈尊が生まれる前から存在した。「化城喩品」では法(真理)は、普編・久遠に存在します。釈尊はヒクションの「大通智勝如来(仏)」を紹介されます。すなわち「大通智勝如来」は、どの仏よりも先に。この世に初めて出現された最初の如来」である。釈尊はこの一言で、真理は刧初(こうしょ)からあったので、自分が初めてさとったのではない、と説かれるのです。
仏法という法は、「釈尊が創作されてものでもなければ、釈尊が開祖でもない」こと、釈尊は、この法をさとった一人である」こと、そして「私たちもまた、この法をさとる可能性を持っている」という事実を確認すればいいのです。
私たちが一生懸命に努力するなら、周囲の人だけではなく、私たちを取り囲む自然のたたずまいすべてが、私たちを励ましている事実を体験することができます。