鏡を見る
自分を見ること
ブッタとは真実に目覚め、真理をさとった人がブッタ(覚者)です。もともとは釈尊個人を讃える尊称ですが、大乗仏教の思想では、誰もがブッタになれる可能性(仏性)を持っているとの認識から、普通名詞的に覚者一般を指して言うようになりました。
法を中心に、法を「信」の対象とするのが大乗仏教の思想で、法華経もその名が示すように、法(仏法)の信心を離れて法華経はありません。
鏡を見ると、自分の顔が写って見えます。写って見えるのは自分の顔の表情だけではありません。人相というように、自分では見えない自分の心のたたずまいも、鏡に映しだされるのです。つまり、鏡を見る動作は、本当の意味で自分に出会うことであり、自分自身を知ることです。さらに鏡を見ることは、鏡に見られているのだと、鏡の見方を深めることもできるでしょう。鏡に映るのは間違いなく自分の容姿です。自分の容姿を「自分である」と確認するもう一人の自分とはどのようなものであるか、また、その「もう一人の自分」はどこにいるのかを学ぶのが、実は、仏道を学ぶことに他ならないのです。