人間の生き方
薬草喩品は、「三草二木の喩」とも言われています。今までに人間の価値や区別、放逸などについて学んできました。釈尊の最後の説法もまた「汝(なんじ)、放逸することなかれ、当に精進すべし」でありました。慶応大学の学長された小泉信三先生が残された多数の名言の一つに、「天才とは、生まれつきの才能を持つ人を言うのではない。努力する心を豊かに持つ人のことである」と言うのがあります。よく世間で「適材適所」と言います。しかし、適材と見られた本人が「俺は適材適所」だとうぬぼれて努力を怠ったら、たちまちのうちに「不適剤不適所」の汚名を受けるようになるでしょう。ここにも「この世の人間は差別はないのであるが、かれらの意欲によって、人間は区別されるのだ」という「薬草喩品」の詩句が読み取れます。法華経のいう意欲を、現代感覚で消化するなら「おれさまでなければ、これはできるものではないぞ」と自分なりの「力のたえる所に任せ」て全力投球するなら、学歴やその他のさまざまな障害も、その人を遮ることは出来ない、ということになるでしょう。