釈尊の出生の本懐
何としても一乗法を人々に説かねばならぬ。その決心の為に、釈尊はこの世に生まれたのです。それがすなわち、釈尊の「出世の本懐」(この世に生まれた直接の目的、本意)であり、法華経が開示されたゆえんです。又、生れた目的は唯ひとつの偉大な仕事とはいったい何であろうか。それは如来の知恵を発揮して人々を鼓舞するためであって、そのために如来はこの世に出現するのである。如来の知恵の発揮を人々に示すためであり、それを人々に理解させ、分からせるためである。
「この世の人々は、みな程度や能力が異なっている。よってその差に応じて、その人に適応した導きを与え、すべての人を救わずにはおかない。全ての人は、自分に合った教えによって、仏性を開発されて仏に成れるのだから」というのが、釈尊の「出生の一大因縁」です。以上で、法華経における「三草二木」の比喩の重さが計られるでしょう。あわせて、釈尊の教育理念もうなずけるでしょう。
「人それぞれの性質は、それぞれ違いがある。賢い者・愚かな者・励む者・怠ける者など、それぞれの性格をよく見て、それに応じた法をあれこれと限りなく説いて、みんなを喜ばせ、それぞれに利益を得させた」人に個人差はあっても、その差に応じた所得があるなら、よろこびも平等に得られるわけです。いかに素晴らしい教えでも、受ける側が不足や苦痛を受けるようでは無意味です。