一乗法とは
すべてを包括した絶対一の教え
法華経以前には、声聞乗、縁覺乗、の二つの教えがありました。他に菩薩乗、の三つの教えがありました。合わせて三乗と言います。しかし、三乗の教えのすべてに通じて言える欠点は、ただ自分中心の勉強やさとりであって、他のことを考えないことです。この意味で小乗(小さな教え)と非難されたのです。こうした小乗教に対して、般若経や華厳経や法華経は、すべて「誰でもみな仏になれる可能性がある」(悉有仏性)と説き、また、「自分だけではなく、他人をもさとらせて、しあわせにすべきだ」とすすめます。法華経では、ただ一つの真実の教えとして一乗法を説きます。一乗法を一ことで言いますと「いのちあるものはみな仏になる」という教えです。したがって、一乗と大乗とは同意語になります。現代の仏教書でも一乗と大乗とを同じに解釈しています。一乗法の呼称は、大乗教と三乗教とを包括して、絶対一の教えであるという事実を示唆します。日本では、聖徳大師が一乗法をこのように理解された最初の一人です。