執着心を乗り越える知恵(1)
「平等」にも「差別」執われない「清浄心」の境地とは
これも比喩です。人はおのおの素質や能力の違いがあっても、仏の経化を受けるなら、いつかは皆各自にさとりを得て、世を救う者となることを、この比喩では三草二木に喩えて説いてあります。この比喩は平等と差別に関して深い示竣を与えています。すなわち、平等と差別の二つの現象を「一乗の法」といいます。つまり、法華経の諸法実相の考え方を、平等と差別を乗り越えた一乗の法で認識することを、分かり易く示す大切な比喩なのです。
般若の思想は、やがて枯れゆく無常の存在と見る。又一本の草も一本の木も、単独で存在できるのではなく、太陽の光や空気や水など、無数の縁との関わり合いによるものであるから、縁の価値を肯定するのが般若の考えです。法華経の思想は、般若が、このように存在(諸法)を、それぞれ仏の知恵と慈悲とをありのままに表現する実相そのままだと考えます。つまり、般若の肯定をさらに肯定するもので、これは法華経の教えが ”現実肯定”だと言われるゆえんでもあります。
同量の雨を受けた草木でも、生長の度合いはみな違う 釈尊自分の説法を、大小さまざまの草木に降りそそぐ雨にたとえて、語られているわけです。