般若心経に学ぶ (第七)

無無明 亦無無明尽 乃至無老死 亦無老死尽 無苦集滅道  
  
(むむみょう   やくむむみょうじん     ないしむろうし       やくむろうしじん      むくしゅうめつどう          

   無知亦無得 以無所得故
  
 むちやくむとく        いむしょとくこ)

(現代語訳) 始まりも終わりもない、すべてない。

さらに、無知もないし無知の尽きることもない。ということから老も死もなく、老と死が

尽きることもない。ということになり、苦しみも、その原因も、それをなくすことも、そして、その方法もない。もともと得るものが無いのだから、智も得もないことになる。

*「無無明 亦無無明尽」 無明とは世の中の真理を知らぬことを意味します。

お経の中に出てくる「無明」という言葉は“明るく無いつまり無知とか愚かなことを意味している。

人間の持っている煩悩を大きく分類すると、貪欲(むさぼり)、瞋恚(怒り)、愚痴(お

ろかさ)、の三つになります。無明とは無知のことですから、愚痴につながります。

知恵がなく正しい判断を下せないことを無明と言いますが、実は、この愚かさこそが、人間が迷いに世界に次から次へと生まれ変わる原因であるとする説があります。

これが十二縁起です。

では、何に対して〝無明〟なのでしょう?般若の智慧に対して、です。つまり、世の中の真理を知らず、正しい判断を下せないことを無明と言っているのです。

「無無明」すなわち無明なく、「無無明尽」すなわち無明の尽きることもない。と否定しているのです。すべては「空」なのだから、もともと何も存在していないのです

仏教からすると、現在の個の存在は、過去における業の結果であり、さらに、未来に何ものかとして生まれる原因である。という。

「自業自得」という言葉がありますが、これを分析すると、善因善果、悪業悪果ということになり、良いタネを蒔けばよい結果となってあらわれる。悪いタネを蒔けば悪い結果となってあらわれる。ということになります。

現代人がこの自業自得という言葉を用いる場合には、どうも悪い結果になったときのみを意味しているようですが、

“いつも良い心掛けでいるから、こんなに良いことがあるんだ

“よく言うことを聞いているから、ご褒美が貰えたんだというようことも自業自得なのです。

自業自得は、この世の中における原因と結果だけではないのです。過去世に於ける原因が結果として現世に表れ、現世で積み重ねている様々な原因が、未来世に於いて結果をもたらすのです。

自分の過去世における行為の結果が現在に続いているという事ですが、現世で私達が積み重ねている行為が来世につながってゆくというのです。

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