つづき

この世はすべて空であり無である(般若心経の究極の教え)

六つの感覚器官である六根、それらの対象である六境、それらを受け止めようとする意志や認識としての六識を合計すると全部で十八となる。それらを仏教では十八界とよんでいます。

また仏教には、十界と呼ばれる世界観もあります。これは世界を、地獄・餓鬼・畜生・阿修羅・人間・天という、六つの輪廻する迷いの世界と、声聞・縁覚・菩薩・仏という、四つの世界の合計であるとする見方です。十界は、客観的な立場から見た一種の仏教的世界観と言ってよいでしょう。それに対して十八界は主観的な立場から見た世界観と言えるでしょう。

人間は、自分の眼の届く範囲の中に存在するものは、それが人であろうが物であろうが、あるいは現象であろうが、こちらに見ようとする意志がありさえすれば見る事ができる。

しかし、それ以外は、いくらこちら側に見ようとする意志があっても見えないのだから、「有る」とは言えないことになります。

過去において見たことがあるものや、見た人から知識として教えられたものについては、記憶や知識として残っているはずですから、これらは存在する、と言ってよいでしょう。

見たことも、聴いたことも、匂いを嗅いだことも、味わったことも、触ったこともないものは、知識として教えられていない限り、本当はあるにも関わらず、主観的には無いに等しいでしょう。

十界にしても、いかにも客観的な存在のように説かれていますが、この十八界と照らし合わせてみると、やはり主観的な認識と気が付くでしょう。

しかし、このように分類することこそが人間の煩悩によるものでありますから、それらの一つ一つも結局は「空」なのです。すべてを「無」という言葉によって否定することによって、全世界すら、しょせん永遠に変わらぬ実体などはないと説いているのです。(諸行無常)

人間は、永遠の中にほんの一瞬だけ「生まれさせて」もらったのだから、もっと、この世を大事に生きなさいと、教えているのです。

一つ一つの感覚器官を、単に欲望を満足させるためにだけ用いているのでは、誠に申し訳ない。このことに気づかなければ、このお経を読んだことにはならないのです。と言っています。

もっとも大切なのは、心の問題です。と説いています。こだわりのない心をもつこと。

こだわり、わだかまりを超越してこそ、“真に自由な“人生の喜びを 見出すことができるのです。と教えています。

人は誰もが心の持ち方次第で、幸せにも、不幸にもなるのです。と教えています。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

人は誰も幸せになるために生まれてきたのです。
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汝、悩むことなかれ。どんな人でも悩みの無い人は居ません。
早く心と気持ちを軽くして、前を向いて生きて行きましょう。
多くの方が心と気持ちを軽くして幸せになっています。
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