前回からの続き

一休禅師(一休さん)の挿話に、正月に「めでたいめでたい」と浮かれている人々に向かって「門松は冥途の旅の一里塚 めでたくもありめでたくもなし」と警告したのです。

新年を迎えることは、新しい年に向かっての希望に満ちた第一日であると同時に、死出の旅路への一歩でもあるのです。

愛と怨憎から遠く離れて、欲望から別離し、生と死を差別しない境地に到達するためには、この世の諸現象全てが「空」なるものであることに気が付く必要がある。そのことを「照見」したのが観音菩薩であったということです。

悟れる世界に到達した者から見れば、しょせん人間世界(此岸)のあらゆる苦しみは、人間がこの世に執着する迷いから来ているものとなります。

その迷いの世界(此岸)から悟りの世界(彼岸)へとすくいだそう、「度」(渡そう)とし、それができるものこそが、菩薩なのです。

*一切の苦厄は身・口・意からおこる。

私達人間を構成している身心の中で、心というのは厄介なものです。だからこそ仏教の教義においては、人間を構成する要素の中で、色(しき)を除いた四つ、受想行識は心の働きと言うことになっています。

仏教では、人間の行為を三種類に分けて、心口意(しんくい)の三業、と言っています。

身体でなす行為と口で言う行為は、外部に現れるから他人でも良く分かります。意業と呼ばれる心の働きだけは、本人以外の者にはなかなか判らないものです。

本音と建前がまったく違うなどと言われますが。確かに普段、私達が口に出して言っていることと、心の中で思っていることの間には開きがあることがあります。だからこそ古人は、「天知る 地知る おのが知る」などと言って、いつでも自分以外の何者かが、自分の心の中まで見通しているのだから、決して分からないなどと思ってはいけない、と警告しようとしたのでしょう。

いずれにしても、この「心」という存在は、人間にとって、又生き方にとって、極めて重要な問題と言えるでしょう。

金・物などに「執着心」が過大になると様々な問題を起こす原因となります。仏法でもこの世に執着する迷いから苦しみが始まると言っています。

人間は、上辺の言動ではなく心が最も大切なのです、と言っています。

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担当者:ライフアドバイザー
あかおぎ ひろし

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