前回の四苦八苦の続きです。
残りの「四苦」は:愛別離苦・怨憎会苦・苦不得苦・五蘊盛苦があります。
「愛別離苦」とは:愛するものと別れたり離れたりする苦しみ。(あいべつりく)
「怨憎会苦」とは:怨み・憎む人と出会う苦しみ。 (おんぞうえく)
「苦不得苦」とは :求めるものが得られない苦しみ。 (くふとっく)
人間の欲望には際限がないから、永遠にこの苦しみから解放されることはない。
「五蘊盛苦」とは:色・受・想・行・識の五蘊による苦しみ。 (ごうんじょうく)
以上の七つの苦をまとめて、身心の五つの要素によって構成されている人間の存在そのものが苦しみなのであるとする五蘊盛苦が最後の出されてくるのです。
人間として母親の胎内から生まれてきた以上、「生」そのものを否定することは不可能です。
そうかといって自らの手で生命を断ち切ることが苦からの解放になる、というものではない。要は、現実に目をそむけずに、四苦八苦をあるがままに認めることなのです。これらの現実の姿を直視したうえで、さらに、これらの苦しみを超越した解放の世界である悟りをめざせ、と言っているのです。
人生は苦しみに満ちたものであり、四苦八苦の苦しみ、心と身体があるための苦しみ、「人生は四苦八苦なのだ」と見据えることから、この世をおおらかに生きてゆく智慧が見つかる、と言っているのです。
*愛と怨憎から離れられれば
自分の愛する対象でなければ、誰が何人が別れてゆこうと、それは自分にとって苦しみとはならない。自分にとっての愛の対象でない限り平然としていられる。
愛別離苦の苦しみの原因は、自分の側の愛にあるからです。同じことは、怨憎会苦や苦不得苦にも同じです。
自分が怨んだり憎んだりするから、それらの人達と会ったり話したり、一緒に暮らしたりするのが苦しいのです。恨みの憎しみも感じていない相手なら、何も苦しむことはないのです。欲しい欲しいと求めるから、手に入らないことが苦しみのなるのであって、欲しいと思わなければ、得られない苦しみはおきないのです。
生と死についても、生まれることは目出度いことであり、楽しいことですが、死ぬこと
は苦しいことであり悲しいことである。と思い込んでいるからこそ、老も病も苦しみと
なり、はては、それらの原因である生さえも苦しい、となる。
「老」は確かに死へ近づく過程でありますが、同時に、人間が成長する過程でもあるのです。 つづく