禅語 その9
「和光同塵」 わこう どうじん 慎みという美徳 老子
個性や自己主張をアピールして、自分を立派にみせることが現代流の生き方で、それが主流のようになっています。現代は少しでも他人よりすぐれ、自分の長所を磨き抜きん出ることが評価されているようです。
あからさまな自己主張の時代に失われゆくのが、謹みや謙虚さ、奥ゆかしさなどです。派手な光を放つことはないけど、いぶし銀のような深みのある人、ピリッと鋭い意見をさりげなく言えるような人は少なくなっています。
こんな時代だからこそ、見直したい言葉が「和光同塵」です。老子は「その光を和らげてその塵に同ず」と言いました。「和光」とは自分が勉学、修行によって得た道徳性や知性、才智の輝きを和らげ、顕(あらわ)にしないこと。「同塵」とは塵やゴミに汚れた現実世界に同化すること。聖人であっても、悟りを開いた禅師であっても、その学徳や才智を表面に出さず、俗塵の中にまみれて衆生済度をするという意味です。と記されています。
禅者のようにいかないまでも、私たちにも出来ることはあります。自分の行いを自慢せず、謙虚に奥ゆかしく、困った人や助けを必要としている人たちに、ささやかでも役に立つことをする。そんなところから始めてみましょう。
何か身につまされるような言葉「和光同塵」いい言葉ですね、私もそんなところから始めてみようと思います。