禅に学ぶ −10− 「当たり前」の中に心理を見据える。
「当たり前」の中に心理を見据える。 百歳の禅語より。
青々とした柳も、あでやかな花も、刻々と移り変わって行く。無常の現象です。
柳の芽が青く育ち花が紅になるには、日光や水や空気。人間の栽培や施肥など、
無数のきっかけや条件(総合して縁という)のかかわりが必要です。この無数の
関わり合いの事実を無我と言います。
そういう無常と無我が「真面目」、つまり真理である。と蘇東坡はこれを見据えた
訳です。事実と言うのは目に見える具体的な姿であり、目に見える事実の底に潜ん
でいる無常や無我が真理なのです。
だから目に見える現象は、すべて目に見えない真理の表れであると言う事なので
す。「柳緑花紅」と言うのは平凡な事実なのですね。しかし、平凡だとか、当たり
前だと言って見逃したり、聞き逃しをしては何も掴めないし、進歩も無ければ思案
も出来ません。
その「当たり前」の中に心理を見据えることが出来ると、当たり前の事実がそのま
ま真理の姿(相)だと言う事になって、事実と心理が一つになって理解できます。