千 玄室さんの言葉。 

今朝のサンケイ新聞のコラム「一服どうぞ」に裏千家前家元「千 玄室」さんの

「他人に手差し伸べる器量」が載っていましたので原文のまま掲載します。

地震大国日本といわれ、活火山も多い列島では、しばしば地震が起こる。そして、

過去に例を見ない大雨などもあり、天災は恐ろしい。単に天災のみならずそこに人

災と呼べるようなことが入ってくることもある。凄しい被害だと「どうしてこんな

ことに」と異常気象を嘆く、何かの祟りか、神の怒りに触れたかと思う方もおられ

る。

陰陽五行の教えである易学は中国で成立した。いろいろな災害がある度、この陰陽

によって占われた。陰は月で,陽は太陽である。この世の全ては陰と陽の対称であ

り、木火土金水の五行で構成され、万物が動いているといわれる。雨や風による天

災は恐ろしく、色々なところで被害があるが、どこか人ごとのように思い、自分の

所ではなく良かったと呟くのは己だけではないだろう。

しかし、人々は天災や人災の起こる毎に他の人の為に救助に駆け付ける。情の心を

自然に発揮するのである。タイで13人の少年とコーチが困難だと思われた洞窟から

救助された。さすが仏教の国、僧侶が皆さんと一緒に祈りを捧げている映像がTVに

映し出された。ともに合掌し、無事を祈る姿は胸を打った。洋の東西を問わず、あ

らゆる災難に人々は救いの手を差し伸べるとともに神仏に祈る。

東洋思想の特質は、西洋のように、アイデアリステイック(非現実主義)、リアステ

イック(現実主義)の2つに分けない。即ち、主観と客観をきっちり分けず、主観と

客観の統一を図る。客観を経て深遠なる主観に到達するのが東洋である。

例えば、祈るという行為は、主観的で、現実にその意が通じると考え、人なら誰で

も特別悪い事が起こらないように祈る。悪を払い、善即ち良い方向に向かうように

と。災害時には知らぬ人々の為に祈るのである。

昔あるところの他人からは「けち」と悪評のある人が大雨で近隣の町が水浸かりに

なった時、救助の品を買い、被害者に配りに行った。それまでケチがいい格好を見

せているとと悪口を言われた。聞い

た家人が本人に伝えたところ、「人間はどんなに悪く言われても、いざという時に

本当の心を以って実行すれば今どうのこうのと言われても後に分かってもらえる」

と言ったとの話がある。

神仏の教えは正しく見ることの大切さも教示している。八正道という教え、それは

人間の生きる上において正しい生き方を教示したものである。私は禅の師から八正

道とともに無功徳を教わった。梁の武帝が達磨大師に「自分は色々な良いことをし

たがそれに対しての見返りは」と尋ねたら「並に無功徳」=「自分が良いことを吹

聴してしまったらしまいだよ」と言ったそうだ。

慈善をするのは当たり前のこと。キリストは誰にでも手を差し伸べなさいと教えら

れた。右の頬を叩かれたら左の頬を。右の手でなしたこと左の手に知らせることな

かれとも。私たちは生きるために必死に毎日を過ごすが、そうした中でも何か他の

人に対して手を差し伸べる器量を持つことが必要だと、しみじみ思う今日この頃で

ある。

というコラムでした。