「あるがままに生きよ」
私たち人間にとって悟りの境地とはどんなものなのでしょうか?
仏教では“煩悩を取り除いて、悟りの状態である仏陀の境地に到達することを目的としています。それは何も、
この世を否定するものでもなければ、早く死ね、と言っているわけではありません。
“そのままの状態で ”人間の生きている意味を見つけ出すことなのです。
われわれ人間は、すべて自分自身の“色めがねを持っている。そのままの状態で物事を受け取ったり、判断する
ことが出来ないのです。
“親だから、大切にしなければ
“恋人だから、優しくしてあげよう
“自分の仕事だから、真剣に取り組もう
”ご近所だから、挨拶をかわそう
この“だからというのが“色めがねなのです。
この論理からいえば親でないから恋人でないから優しくする必要はないとなる。
このような相関関係の中で判断するからこそ、迷いもすれば、苦しみを味わうことにもなるのです。
この世の中を、そのままの状態で見つめ、あるがままに生きる・・・・これこそが、 涅槃の境地なのです。
すべてが無なのですから、親・子供・恋人・も無い。仕事・金銭・地位・名誉な どもない、すべては「空」な
のだ、と言っている。
この静寂な境地に到達すれば、もう人間世界の巨大な歯車の中で、個性を埋没して 生きることなどなくなるの
だ。何物にもとらわれず あるがままの姿で生きよ
そう教えてくれているのです。
心からわだかまりが消えたら(心無罫礙)、そこに自由の世界(涅槃)が待っているはず。
なんの恐ろしさも感じない(無有恐怖)、誤った考えもしない(遠離一切顛倒夢想)。こんな境地が自分に訪れ
たら、きっと素晴らしいでしょう。
そこには、自分を利するといった功利的な考えはない。
色めがねを持っていると、執着心という不幸を背負っているし、苦の原因を自ら作り出していると言えるでしょ
う。
人間は、本来一人なのです。有利だとか不利だとか、そんなものとは関係なしに,一個の人間として存在している
のです。
与えられた、限りある「生」の中で、人間の我執を捨てなさい、そうすれば本当の自由の境地に一歩でも近づけ
るのですよ、と仏は説いているのです。
世の中の真実を知り、心についた一切のカキを払落すよう努力しなさい・・これがお経の言わんとしていること
なのです。
なるほどとは思いますが難しいことです。でも少し努力してみませんか。