*無眼界 乃至無意識界 物があっても見る意思が無ければ・・・・。
人間が眼を持っていて、眼の前に形ある眼の対象があれば見えるのか、耳が
あれば人の話を聞くことができるのかというと、そういう訳にはいかない。
見る意思・聴く意志がなければ見えないし、聴こえないのです。
このように、見ようとする意志のことを眼識・眼識界と言い、耳識(界)、舌識(界)、
身識(界)、意識(界)と言って、全体を「六識」と呼びます。
経典の中では、中間の耳識・鼻識・舌識・身識の四つが「乃至」という言葉で省略
されています。また最初の眼識界も、識の字が省略されて、「眼界」となっています。
六根・六境と同じように見ようとする意志、聴こうとする意志、匂いを嗅ぐ意志、・・・
というのを別のものと受け止めることが問題なのですから「無」という意味で否定し
て、「空」であることを強調しています。
「無」の心で見たり、聞いたり、話したりすることが大切なのかもしれません。