今年も般若心経について書かせていただきます。この教えは本当の意味での人
生指針です。一流のスポーツ選手やゴルファーの方々は、この般若心経の写経
をしている人が多いのです。それは健康成人の集中力は2時間と言われていま
す。写経は集中して約2時間かかりますので、集中力を養うためにしていると言
います。皆さんも是非、今年は写経をしてみては如何でしょうか。
それでは本題に入ります。
*是故空中 無色無受想行識 無眼耳鼻舌身意 無色声香味触法
ぜこくちゅう むしきむじゅそうぎょうしき むげんにびぜっしんい むしきしょうこうみそくほう
むげんかい ないしむいしきかい
(現代語訳)
したがって、実体が無いということの中には、形あるものはなく、感覚・記憶・意志・知識といった精神作用もないし、眼・耳・鼻・舌・身体・心・といった感覚器官もない。さらに、形・音・香・味・接触感・心の対象といった、それぞれの感覚器官の対象もないし、それらを受け止める、眼識から意識までの六つの心 の働きもないのです。
*無色無受想行識
お経では、この世のありとあらゆるものが「空」なのです。と説いています。そして
「空」 の中には何もないのです、と展開してゆきます。
色も受想行識もないと言っているのです。
*無眼耳鼻舌身意: 見る、聞く、匂う・・・すべておなじ。
人間には六つの感覚器官が備わっています。それを「六根」よんでいます。六つと
は、 眼・耳・鼻・舌・皮膚そして心のことです。これらをお経の中では「眼耳鼻舌身
意」と言っ ています。
「眼耳鼻舌身」は誰でもわかります。問題は「意」つまり心の働きです。これには、
感受性 としての「受」、記憶の働きの「想」、意志を意味する「行」、認識・識別の
意味を持った「識」 という四つの精神作用や現代風の深層心理のような働きも含
まれています。
こういった人間の「心」、精神的な働きすべてをまとめて「意」という言葉で表して
います。
人間は常に煩悩によって乱されているので、六つの感覚器官を欲望のために使
いがちです。だからこれら全てを清らかにしようという気持ちだけは持っていたい、
という願いが、登 山のときの「六根清浄」という言葉で現代にも残っています。
六根は別々の存在ではない、同じなのだと言っているのが「無眼耳鼻舌身意」な
のです。
般若心経ではすべてが「無」であるという事の教えですから「無」という字が多く出
てきます。