*心無罫礙(しんむ けいげ)
私達がよく耳にする「般若心経」の一節である。「心無罫礙」とは、心のわだかまりがない
こと。私達は心配事があれば心配に心を捉われてしまい、悲しいことがあば、悲しみに心を
奪われてしまうようである。そしていつも心のどこかにひっかかりを作って、くよくよ考え
込んでいる。その心のさまたげを「罫礙」という言葉で表現している。
「罫」とは魚を捉える網のこと、「礙」とはさまたげを意味し、私達の心が網にひっかかっ
てもつれた状態、私達は心配や悲しみに心を奪われなければいいのだが、実際問題として不
可能である。生きている人間である以上悲しみ苦しみはつきまとう。何か心配事があるとそ
のことが頭から離れない。夜もおちおち眠れない。ひどい場合はノイローゼになったりする。
だから心の「こだわり」「わだかまり」を捨てるように般若心経は教えている。
悲しみは悲しみとして受け止める。苦しみは苦しみとして受け止める。それが、「心無罫礙」
の説くところである。
悲しみ、苦しみはだれでも受ける。受けた心のダメージをどのように処理 していくのかが問
自己の宗教心をしっかりと確立している人は、きっと立ち直りは速いと思う。
私達は物事に「こだわりつつ」「こだわらない」心を学ばなければならない。心に「わだか
まり」「こだわり」を持たないで生きることは大変難しいことです。
しかし、「わだかまりや」「こだわり」を持っているとすべてに疑心暗鬼となってしまう
「先入観」や「わだかまり」を出来るだけ持たないように生きることが大切でしょう 。