「ひとというものは、ひとのために何かしてあげるためにうまれてきたのス」
(宮沢賢治の母、イチ)
幼い宮沢賢治と添い寝するとき、いつも語りかけていたという、このことばほど、
彼を象徴するものはない。人のために自分は何ができるのか。そう問い続けた
賢治は昭和8(1933)年9月21日37歳の生涯を終えた。
「私には私の望みや願ひがどんなものかわからない」と言って突如東京へ出奔
する。これはそのころ親類にあてた手紙の中にある。
さがし続けたものを、賢治は見つけることができたのだろうか。わからない。
ただ、彼の最後のことばは、「ああ、いいきもちだ」−だった、という。
と新聞のコラム「次代への名言」に記載されていました。考えると、かの有名な
「雨ニモマケズ」はこの母親の言葉が原点ではないだろうかと私は思います。
母親の影響は凄いものですね、すばらしい母親像ではないでしょうか。