禅に学ぶ「有り難う」と「お陰様」-9- 柳緑花紅 百歳の禅語より
「有り難う」と「お陰様」について
いずれにしても、遅い早いはあるけれども、すべては移り替わって
いくと言うのが「無常観」です。ただ、それをマイナス面だけでとらえ
てはいけない。プラスの面も見ると言う事が大切なんだと。
刻々として変わった行くものが今ここにあると言う事、これは滅多に
ないので「稀有」の事実です。稀にある。そういう稀な事だから、「有
り難し」と言う事になります。そのように「有り難し」とは、滅多にな
い、ある事がむしろ奇跡であると言う事。そこから感謝の気持ちを
意味するようになりました。だから、「有り難う」と言う言葉の意味を
本当に分かると言う事は、無常が分かると言う事です。
それから無我、全てのものはお互いにかかわりあっている。碁盤に
は目と言うものがある。しかし、一つだけ取ってくれと言われても取
り出すことは出来ません。あの目は隣接する縁(へり)両方のもの
が共用して初めて存在するからです。網の目も同じですね。
それは独立して存在する事はできない。持ちつ持たれつ、隣の目と
かかわりによって生じるものです。日本人はこれを「お陰様」と受け
取った。お陰によって存在をする。
だから本当に「お陰様」と言う言葉の意味が分かると言う事は、無
我が分かると言う事なのです。