思考し、謙遜し、希望を持つ…百歳の禅語より
思考し、謙遜し、希望を持つ‥…百歳の禅語より。
今の時代は考えることが全くなくなってしまっています。すぐに切
れてしまったりするのは、考えることが無いからです。
何故考えないかと言えば、読書をしないからでしょう。そのことが
あらゆる犯罪の根源だと思えるのです。
読書をしないから思考する材料が生まれない。読書をしないから話
材に乏しい。普通の会話も、今の若い人は満足にできない。
つまり話の種がないのです。
読書をしてものを考えれば、謙虚にならざるをえないのです。人間
にとって謙虚は必要ですが「私は謙虚になろう、謙虚になろう」と努
めると、どこかわざとらしい所が出て来ます。
本当の謙虚は、学ぶところから始まると思うのです。学べば学ぶほ
ど、自分の足りないところが良く分かってくる。すると黙っていても、
謙虚な姿勢になってくる。少しでも学んでいこうという姿勢になってく
る。そうやって学んでいけば、別に努力しなくても、自然と謙虚に
なっていく。だからどこまでいっても、これで終わり、卒業ということ
はありません。
マッカーサーの座右の銘であったサミエル・ウルマンの詩「青春」に
出てくる「希望ある限り若く、失望と共に老い朽ちる」この「希望を持
てる」ということが若さの証明になるんですね。