禅の心・「平常心是道」
禅の言葉に「平常心是道(へいじょうしんこれどう)」と言う言葉がありま
す。
「当たり前のこと」をやればいい。飾らない自分を見つけることが「悟り」
{悟り」と聞けば、長きにわたる修行の末にようやく到達できる。特別な境
地だと思っている人が多いのではないでしょうか。しかし禅語は「平常心
是道」と教えています。日々、当たり前のことを当たり前にやっている心こ
そ道であり、悟りもそこにある。と言う意味です。
茶人の千利休も、茶の湯について「茶の湯とは、ただ湯を沸かし、茶を立
てて飲むばかりなるものとこそ知れ」と言う言葉を残しています。なにも道
を究めようなどと、力むことはないのです。ただ、今やるべきことを自分の
命を込めて当たり前にやればいい。命を込めるとは、ひたすら取り組むこ
と、と言ってもよいでしょう。
誰にでもその瞬間、瞬間になすべきことがあります。それは仕事か勉強か
もしれません。しかし、いずれにせよ、「何かの為にする」「これをすれば何
かが得られる」などと、捉われることなく、目の前のことに集中して自分を
投げ込む。そこに飾らない自分の姿があり、その心こそが「悟り」でもある
のです。と教えています。